10年、20年という歳月で、同じ地権者でも溝
A氏によると、今から約25年前、再開発計画が立ち上がった時点ではもともと、消費者金融や質店が入るビルも含めて地域一帯で開発される計画だったという。しかし、2019年に再開発の事業組合が設立された時点で、この二つのビルの名前はなかった。
日本政府が保有する軍用地を三菱財閥が買い取って一帯開発した丸の内と違って、八重洲は戦後の闇市だった歴史もあり、雑居ビルがひしめいていた。
トフロム八重洲の場合、80人以上の地権者がおり、その全員が納得する案を作り上げる必要があった。東京建物の野村均前社長は同社の統合報告書で、「すべての方と合意形成に取り組むという意味では日本で最も難しい再開発案件の一つと言えます」と振り返っている。
一口に地権者といっても個人や法人もおり、その立場は様々だ。老朽化したビルをさっさと手放したいと考える者がいれば、できるだけ粘って多くの利益を得たい者もいる。
飲食店の経営者と、ただ住んでいた人の立場も異なる。10年、20年という歳月を経る中で、同じ地権者の間でも、溝が生まれていた。
パースでは、消費者金融や質店のビルは「無かったこと」に
地権者同士の溝の深さを物語るエピソードがある。トフロム八重洲の建設中、近隣のビルが解体されてむき出しになった消費者金融のビルに「当ビルは再開発から完全に除外されました」という垂れ幕がかけられていたのだ。
それは条件闘争に応じなかった東京建物に向けられたものなのか、それとも、かつての「仲間」たちに向けられたものなのか。今となっては誰も口を開かないが、当事者のみにわかる世界があるのだろう。キー局の経済部の記者、B氏はこう語る。
「開業から1年前、25年にトフロム八重洲の発表イベントがあったが、再開発組合の理事長が『数多くの難題があった』と冒頭の挨拶で述べ、『この再開発を我々の世代で完結したいという強い思いが、その困難を乗り越える糧となった』とかなり突っ込んだ発言をして、めでたい場のはずなのに空気が微妙になった」と振り返る。
かくして、世界有数の都市である東京の「玄関口」に、消費者金融と質店が立ち並ぶ事態となったのである。ちなみに、発表会の場で公開されたパース(完成予想図)では、消費者金融や質店のビルは「無かったこと」とされた。













