『ニューヨーク物語』の挫折とプロデューサー問題

ビリーは心機一転、ニューヨークに帰って勝負作『ニューヨーク物語』を完成させる。

しかし、ロック評論家には受けが悪く、『さよならハリウッド』『ニューヨークの想い』など、いい曲が揃っていたにもかかわらずセールスは低迷。全米アルバムチャートで122位と振るわなかった。

原題の『Turnstiles』とはニューヨークの地下鉄の回転ドアを示す。写真は『ニューヨーク物語』(1999年1月21日発売、SonyMusic)のジャケット
原題の『Turnstiles』とはニューヨークの地下鉄の回転ドアを示す。写真は『ニューヨーク物語』(1999年1月21日発売、SonyMusic)のジャケット

そんな時、落胆していたビリーに大きな励ましをもたらしたのは、シンガーで女優のバーブラ・ストライサンドである。彼女がカバーした『ニューヨークの想い』が収録されたアルバムが批評家たちから評価されたのだ。

しばらくするとソングライターのビリーには多額の印税が入ってきた。次のアルバムこそが本当の勝負だと、妻でマネージャーのエリザベスと相談したビリーは、超一流でビートルズのプロデューサーだった、憧れのジョージ・マーティンに依頼することにした。

ビリーに関心を示したマーティンは、招待されたコンサートに来てくれた。ところが交渉は途中で決裂してしまう。

一緒にツアーを回っていたバンドと一緒にレコーディングしたいというビリーに、マーティンが難色を示したのである。

ドラムのピート・ベストに難色を示したマーティンのおかげで、リンゴ・スターがメンバーに加わったビートルズは驚異的な成功を収めた。だがこの時、ビリーは仲間たちと音楽を作る方針を譲らなかった。

2013年頃のビリー・ジョエル(写真/Shutterstock)
2013年頃のビリー・ジョエル(写真/Shutterstock)

マネージャーとしてすぐに対策を講じたエリザベスは、ポール・サイモンやフィービー・スノウ、バーブラ・ストライサンドなどのプロデューサー、フィル・ラモーンとビリーを会わせるようにセットする。

そしてここから、それまでの苦労が吹き飛ぶビリーの快進撃が始まるのである。