年功序列と成果主義のミスマッチにより生まれた「働かない人たち」
リクルートワークス研究所の2025年の推計によれば、企業内に留まりながら十分に能力を発揮できていない労働者が一定数存在することが示唆されている。
大妻女子大学の研究では、この現象を年功序列と成果主義のミスマッチによるモチベーション低下と分析している。昇進せずとも勤務年数が長くなれば少しずつ給与が上がり、成果を問われずとも残業した分だけ残業代がもらえる。
一定の「働かないおじさん(おばさん)」を生み出したのは、この仕組みそのものの病理といえる。
働かない人が一定数存在すれば、その分のしわ寄せはそれ以外の周りの労働者や上司、場合によって部下などに向けられる。仕事を真面目にする人に1人分以上の仕事が回されやすくなる構図だ。
効率を上げて無駄な時間を削ろうとする有能な人材ほど損をし、時間を浪費する者が得をする。これこそが、日本生産性本部やOECDの統計で日本の時間あたり労働生産性が主要7カ国で最下位水準に沈み続ける大きな要因の一つだ。
「成果」への移行がもたらす「働かないおじさん」の行方
裁量労働制の拡大が真に狙い撃つのは、実は管理職ではない。最も影響を受けるのは、非管理職でありながら年功序列で高い基本給を維持し、さらに「残業単価」というレバレッジをかけて年収を積み上げてきたベテラン層だ。
彼らこそ、前述した「時間=評価」のルール下で、仕事の遅さを報酬へと変換してきた構造的受益者である。
だが、「時間」という尺度が機能しなくなる裁量労働制の土俵では、会社にいた時間の長さは何の価値も持たなくなる。10時間かけて会議資料を整えていたベテランと、1時間で本質的な戦略を練る若手。この二人の報酬が逆転、あるいは適正化されることは、これまでの「時間の切り売り」で生き延びてきた層にとっては厳しい宣告となる。
労働科学の「仕事の要求度・コントロールモデル」によれば、健康リスクの核心は時間の長さだけではなく、進め方を自分で決められない「裁量ゼロ」の状態にあるとされる。
この観点から見れば、自律的に動けず、会社に歩幅を合わせてルーチンワークに安住してきた人たちにとって、自分の歩幅で進むことが求められる裁量労働制は、自由ではなくむしろ過酷な試練となるだろう。













