取材で見えた稀有な人間関係
藤原 もうひとつ意外だったのが、青木さんが主な取材対象とされた大久保家のお嫁さんの美江子さんです。この方の明るい前向きさ加減というか、田舎の女性たちには、なかなかこういう人はいないですよね。私の田舎もそうでしたけど、女性は基本的にはいろんなシャドーワークをさせられて、それがつらくても、自分のアイデンティティーとして生きざるを得ない状況に追い込まれている。
でも、美江子さんにはそんな影がなく、舅である文雄さんとも非常にいい関係を築けているのが不思議でした。「農業はしなくていい」と言われて都市部から嫁いできたとはいえ、古い村社会に縛られているような気配が全くない。むしろ、自給自足の生活を楽しんでいるように見える。
青木 もともと天真爛漫というか、とても朗らかで明るい美江子さん自身の性格もあるでしょう。ただ、美江子さんにとっては義父にあたる文雄さんも夫も、世代のわりに開明的というか、本当に人が良くて優しいんですね。また、外からの開拓民が多かった飯舘村自体、他の村落よりも開明的な側面があったのかもしれません。政府主導の町村合併が進んだ平成期、飯舘村はそれを拒み、村内の若い女性を海外研修に送り出すプロジェクトを手がけたこともあったそうです。そうした村のありようも、明治生まれの文雄さんたちに影響を与えているかもしれません。
藤原 珍しいですね、明治の男で、これだけ開けているって。
青木 ええ。夕食を準備中の美江子さんが「じいちゃん、じゃがいも取ってきて」と頼むと、文雄さんは「あいよっ」と言って腰をあげ、土のついたジャガイモをすぐ調理できるよう水できれいに洗って台所まで持ってきてくれたり、ほのぼのとして本当にいい関係ですよね。街場から村に嫁ぎ、あまりくよくよとしない朗らかなお嫁さんと、生涯を土と向かいあって生きつつ偉ぶるところなどまったくない、そんな関係性には僕も稀有なものを感じました。
藤原 日本の村社会の中では、大変レアな家族のように思います。それだけに文雄さんの自殺は、美江子さんにとっても家族にとっても強烈なショックであったろうし、より一層、悲劇性をより痛感させられましたね。
修復不能な土壌の痛み
藤原 さらに私がこの本ですごく痛みを感じたのが、おじいちゃんが開拓した水田の土壌がはぎとられて、その上に無造作にフレコンバックが置かれているシーンです。都市生活に慣れている人にはわかりにくいでしょうが、私がそこに痛みを感じるのは、大久保文雄さんとそのお父さんが、厳しい環境の土地を一生懸命開墾して、作物を育て上げる土を作ってきた大変な労力が想像できるから。土ってそう簡単にできるもんじゃないんですよ。土壌って、一回はぎ取ってしまったら、もう回復不可能なんです。
青木 おっしゃる通りです。
藤原 冷たい雨とともに大量の放射性物質が村に落ち、山々や田畑が汚染されてしまったとき、恐らく文雄さんにはその土壌の痛みが伝わってきたのだと思う。これまで自分の父親や家族とともに、やっと育ててきた数センチ、数十センチの土の蓄積が、一瞬にして使いものにならなくなった。あのシーンは、ただ読んでいるだけの私自身でさえ耐え難いものがあります。
たしかほかにも福島で、有機農法家が自殺をされていますが、やっぱり土だと思うんですよ。土を地力を保つことは単調な作業の繰り返しと土や水に対する知識が必要。土を相手に日々の仕事を営んでいる人たちは、体の一部として土を「感じて」いる。青木さんは、文雄さんが汚染された土壌がはぎとられる場面を見ずに亡くなったのは、不幸中の幸いであって、それを目撃していたらとても耐えられなかっただろう、という趣旨のことを書いていますよね。そこは私も身に沁みました。
青木 これは飯舘村に限った話ではありませんが、原発事故の被災地ではいわゆる「除染」が広範囲に実施され、田んぼにしても畑にしても汚染された表土を剥ぎ取り、代わりに山土などが大量に投入されました。なかには大量の石が混じっていて使い物にならなくなったと嘆く農家の人もいましたし、なによりも長年丹精込めて耕してきた田んぼや畑の土っていうのは、単なる土ではないんですね。藤原さんがおっしゃったように、土が入っていればなんでもいいというものではなく、ましてや山土などを投入すれば土壌が別物になってしまうんだという話は何度も聞きました。
藤原 あ、やっぱりおっしゃっていましたか。もうレベルというか、位相が違うものだと思うんです。山の土を持ってきて、はい、元どおりというレベルでは全然ない。土によって全く作物の味も変わるし、育ち方も違うし、癖もある。圃場整備のときでも、古い土を残しておいて、新しく整備された田んぼで再利用することが多い。土って生きているんですよ。だからこそ非常に痛々しいんですね。














