ああ、もうこんな時間だ。そろそろ、じいちゃんが起きてくる。

 美江子にとっては夫の父─すなわち義父にあたる大久保文雄は生粋の農民だった。この村で生まれ育ち、ひたすら土と向きあって田畑を耕し、農業一本で生計を立てて家を支えてきた。だが、何年も前に農作業からは引退していた。

 それも当然といえば当然であった。1908年─元号でいえば明治41年生まれの文雄はすでに102歳。心身に不調はなく、大きな持病なども抱えておらず、せいぜいが高血圧症の薬などを常用している程度ではあったが、重労働の農作業に日々従事できる年齢はとうにすぎている。とはいえ足腰もごくしっかりとしていたから、毎朝決まった時間に起きて居間の座椅子に腰掛け、美江子お手製の朝食を食べ、悠々自適な一日をスタートさせるのが日課だった。  

2025年、秋。飯舘村中心部の「道の駅」近くの田園。(撮影/青木理)
2025年、秋。飯舘村中心部の「道の駅」近くの田園。(撮影/青木理)

少し古めかしい言い方をすれば、大久保家で「嫁」の立場にある美江子にとっての文雄は、まったく文句のつけようのない「じいちゃん」だった。常に柔和な笑みを絶やさず、面倒なことなどほとんど言わず、感情を露わにすることもなく、声を荒らげることなどまったくない。

 特に農作業を引退したあとは、美江子が支度する日々の食事を美味しそうに平らげ、ときおりやってくる知人や仲間を居間の縁側に迎えて茶飲み話に興じ、庭の雑草が伸びているのに気づけばこまめにむしり、週に2日ほどは村の施設のデイケアに通い、夕方になるとテレビの相撲中継を楽しむ、そうやってのんびりとした生活を毎日変わらずに過ごしていた。

 朝食のメニューもほぼ決まっていた。まずは大好物の卵焼き。溶き卵に少しだけ醬油を垂らし、甘味はつけずにざっくりと焼きあげる。そこに納豆と自家製野菜を漬けたお新香を添え、茶碗には炊きたてのご飯を軽く一膳。そしてこれも自家製の野菜をふんだんに使った具だくさんの味噌汁は欠かせない。この日は白菜とネギ、そして油揚げをたっぷり入れた一杯をじいちゃん専用の木製椀に注ぎ、居間の真ん中にある炬燵の卓上に膳を整えると、美江子は台所の奥にある文雄の寝室に向かって声をかけた。

「じいちゃーん、ご飯できてるよーっ!」

 扉越しにそう声をかけると、じいちゃんはいつもおだやかな笑みを浮かべながら居間に現れる。「おはようさんっ」。そう言って定位置の座椅子に腰掛けてゆっくりと、しかし齢よわい100を超えたとは思えない健啖ぶりで朝餉の膳をきれいに平らげる。

 なのに、なぜかこの日は起きてこなかった。そればかりか、じいちゃんの寝室から物音が聞こえず、起き出した気配すら感じられない。

「ねえ、じいちゃーん!どうしたのーっ?」

「いい加減に起きてこないと、お味噌汁が冷めちゃうよーっ!」

 大きな声で何度呼びかけても、じいちゃんの寝室から反応はない。どうしたんだろう。体調でも悪いのだろうか。

 心配になった美江子は寝室の引き戸の前に立ち、

「じいちゃん?開けるよ?」

 と声をかけ、戸をゆっくり開けた。瞬間、なにかがおかしいとは直感した。

 じいちゃんがいつも寝ている布団は、6畳ほどの寝室のいつもの位置に、いつもどおりに敷かれていた。でも、変だ。掛布団やシーツはきっちりと整えられたままで、そこに誰かが寝て一夜を過ごした様子がない。それに、肝心のじいちゃんの姿が見あたらない。

 おかしいな……。そう思って踵を返し、台所の脇にあるトイレのドアをノックして開けてみたが、じいちゃんはいない。洗面所と風呂場も覗いてみたが、ここにもいない。念のため玄関から顔を出して声をかけてみたが、返事はない。

 いや、よくよく考えてみれば、そんなところにいるはずはないのだ。じいちゃんがもし起き出していたら、いくら家事に追われていたとはいえ、台所と居間を往復していた美江子が気づかないはずはない。