ユーミンの歌の拙さが耳についた…

だが、イギリスのハード・ロックやグラム・ロックが好きだった荒井由実は、アメリカのウェスト・コーストや南部のサウンドにはまるで興味がなかった。

「私ああいう土臭いバンドとかの系統やボブ・ディランは全然聴いてなかったし、嫌いだったわけ。だからエーッとか思ったんだけど、ともかくそれで録音して出したわけ。もう夢中でアルバム作った」

この時に大きな幸運だったのは、村井が念願の自社スタジオをオープンした直後だったことである。社長である村井の判断で制作費のことなど気にせず、思う存分好きなだけ時間を使えることになったのだ。

村井は初めから、制作に掛かるコストを無視していた。売上げや回収など考えたこともなかったという。最新鋭のマルチ・レコーディング機器が揃ったスタジオが完成し、そこに最高のミュージシャンたちが集まった。恵まれた環境の中、レコーディングはすこぶる順調に進んだ。

ユーミンの記念すべき1stアルバム『ひこうき雲』、オリジナルの発売日は1973年11月20日だ。写真は『ひこうき雲』(2000年4月26日発売、UNIVERSAL MUSIC JAPAN)のジャケット
ユーミンの記念すべき1stアルバム『ひこうき雲』、オリジナルの発売日は1973年11月20日だ。写真は『ひこうき雲』(2000年4月26日発売、UNIVERSAL MUSIC JAPAN)のジャケット
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しかし、ユーミンには長く辛いヴォーカル録音が待っていた。レコーディングのディレクターだった有賀恒夫が、その当時をこう振り返っている。

「肝心の歌入れは難航しました。いざ録ろうとすると、バックの演奏レベルが高いだけに、ユーミンの歌の拙さが耳についたんです。どうしてなんだろうと考えてみると、彼女の声はずっと細かく震えていたんですね」

“ちりめんビブラート”と呼んでいた細かい声の震えをなくすようにと、有賀はサジェッションして徹底的に追求した。こうしてユーミンのノン・ビブラート唱法が編み出されたのだ。

「私の歌い方はビブラートが綺麗にかかんないし、それだったらビブラートをなくしちゃえって言われて、ノン・ビブラートになったのが今も続いてるわけ。偶然が重なっているんだよね。私の詞とか曲とかっていうのは、ノンビブラートで歌うことが合ってたのかもしれない。すごく無機的に突き放して歌ったほうがいいのかもしれない。それが新しさだったのね」

若いながらも、時には厭世観さえ漂う詩による、ファンタスティックな世界と色彩を感じさせる新鮮で豊かな音楽の深み。そして日本語のロックを確立したはっぴいえんどの系譜を受け継ぐ、キャラメル・ママのサウンドが絶妙にブレンドされて化学反応を起こした。

こうして、アルバム『ひこうき雲』は、日本の音楽史に新しいページを開いた。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP

参考・引用
『ルージュの伝言』(松任谷由実著/角川文庫)
『週刊現代Special 2016年新春特別版』