過去の肩書のオリジナル名刺は自分を殺す
かつて「会社人間」「組織人間」だった諸先輩の中には、会社や組織という拠り所がない状況にいたたまれず、「元○○商事部長」とか「元○○新聞論説委員」といった名刺を作り、立派な会社や組織に所属していた過去に執着する人もいます。
自己承認欲求か、名刺の威力が忘れられないのかはわかりませんが、この名刺を受け取った人の多くには「ん?」と滑稽に思われることでしょう。
それで心が健全に保たれるなら、周囲の人が何を思おうが気にせず、「元○○名刺」を配り続ければいいでしょう。ただし、それによって「会社人間」「組織人間」思考が温存されるのは問題です。
会社や組織の威光にすがるタイプは時代の変化に取り残されます。「会社人間」「組織人間」である自分を脱ぎ捨ててしまったほうが案外、豊かな世界や可能性が広がるように思えます。
私がそう言えるのは、現役時代は現役時代、定年後は定年後とスパッと分け、「会社人間」「組織人間」思考を清々しく断ち切った人のほうが幸せそうに生きているのを見ているからです。
それだけではありません。
日本を代表する企業の元役員や元部長が退任後、公共施設の管理人や警備員をしたり、観光施設の売店で働く話をたくさん聞いてきました。そこで気づいたのは、周囲の人たちにその人が〝人として記憶されている〟ことです。
たとえば、家電メーカーで65歳まで定年延長で働いていた後閑さんはその後、ホームセンターで働くことになりました。
やたら道具やその使い方に詳しく、親切で人当たりのいい性格はすぐにパートの女性陣から頼りにされるようになり、「後閑さん、〇〇は、××に使える?」とかのお客様からの専門的な質問の問い合わせ窓口のようになりました。
それだけでなく、休憩時には「後閑さん、コーヒーいれたよー」とか「後閑さん、これおすそ分け」と野菜をもらったりもするようになりました。
その時、必ず、「後閑さん」「後閑さん」と個人名で呼ばれることで「ここにいてもいい仲間」と認めてもらえただけでなく、周りから頼りにされていることが実感できて、会社勤めの最後には実感できなかった「やりがい」を取り戻したそうです。
60代後半になって、毎朝、職場に通うのが楽しいとのはうらやましことです。
一方、「元○○名刺」の人は、元の肩書は記憶されても、人物そのものを覚えてもらえません。
あなたにはどちらがしっくりきますか?
定年5年前になったら、自分の中の「会社人間」「組織人間」も反面教師にしたいものです。
定年後の未来がぼんやりとしかイメージできないのは、あなたが「会社人間」「組織人間」のままだからです。いったんデトックスしましょう。
文/大塚寿













