つまり、彼らは「もはや必死に働く必要はない」と判断し、議会を欠席する
ある日、親からのお小遣いが突然2倍になった子供がいるとする。親は「これでもっと参考書を買って勉強するだろう」と期待する。しかし、子供はどうするか。増えたお小遣いでゲームや漫画を買い、勉強時間を削って遊び始めるのだ。
これを経済学の「労働供給モデル」で説明すると、より深く理解できる。人間にとって、労働とは苦痛を伴うものであり、余暇とは金銭で購入する「財」のようなものである。
給与、特に成果に紐づかない固定給や今回の歳費増額のような「不労所得的な収入」が増加すると、人はその豊かさを享受するために、あくせく働く時間を減らし、快適な余暇の時間を買おうとする。これを「所得効果」と呼ぶ。
通常、時給が上がれば「働かないと損だ」という代替効果が働き、労働時間が増えることもある。しかし、例えば日本の自民党の重鎮議員たちのような、すでに十分に高額な報酬を得ている層においては、所得効果が代替効果を上回ってしまう。
つまり、金を持たせれば持たせるほど、彼らは「もはや必死に働く必要はない」と判断し、議会を欠席し、高級料亭での会食や派閥の密談、あるいは単なる休息へと逃避するのである。
給与が上がった議員の議会欠席率は跳ね上がった
実際、論文によれば、給与が上がった議員たちの議会欠席率は跳ね上がった。投票が行われる重要な日であっても、出席回数が月あたり約0.39回も減少したというデータが出ている。これは率にして約22%の減少である。
さらに、出席した場合でも、その発言内容は薄弱なものとなった。5分以上続くような熱のこもった長い演説は減り、議題に関連する重要なキーワードを含む発言も減少した。
ただ席に座り、短い言葉でお茶を濁し、増えた給料だけを受け取る。そのような「穀潰し」の姿が、統計データによって浮き彫りにされたのである。
ここで、高市政権下で行われている議論を振り返ってみよう。「優秀な人材を確保するために給与を上げる」という自民党の主張がいかに空虚であるかがわかるはずだ。
トルコの研究において、給与アップによるサボりが顕著だったのは、選挙の洗礼を何度もくぐり抜けてきた「ベテラン議員(Seasoned MPs)」たちであった。逆に、当選1回目の新人議員たちは、給与が上がってもパフォーマンスを維持した。
新人は次の選挙への不安があり、有権者の目を気にしているからだ。しかし、地位が安泰で経験豊富なベテランほど、増えた金を懐に入れ、安逸な生活へと沈んでいった。













