祝福されない結婚
結婚式には、佐伯さん側の親族は、実の両親と妹しか参列しなかった。
なぜなら、どちらの祖父母も、「相手は無職で、そのうえ授かり婚だなんて恥ずかしい!」と言い、特に父方の祖父母は、「東京まで行ったのに子どもができるとは何事か!」「しかも、自分の仕事を投げ出して地元に帰ってくるのはおかしい!」「なおかつ相手はリストラで無職だと?」と大反対し、「それでも結婚するなら絶縁だ!」と激怒の末、絶縁された。
一方で、小学校の時に生き別れた母と妹との親交は、ある時をきっかけに復活し、続いていた。
「私が15歳のとき、継母とうまくいっていなかった時期に『もう生きていたくない』と思い詰めて、『妹と母に会いたい!』と強く思い、手紙を書いたことがきっかけで、9年ぶりに母と妹と再会することができました。それ以降、毎週のように会ったり電話をしたり、手紙のやり取りをしたりしていました。私の結婚式では父と母、父と妹は18年ぶりの再会です。でも、妹は祝福してくれましたが、両親は2人ともいい顔はしていませんでした」
佐伯さんは出産直前まで東京で看護師として働き、産休中に東北へ帰ってきて出産。夫は佐伯さんの妊娠が発覚した後にリストラに遭い、無職になっている。幸い夫の父親は東北で小さな工場を経営していたため、夫はそこで働くことになった。
そのため佐伯さんは出産後、勤めていた東京の病院を退職。夫とともに東北に戻ると、第1子の育児をしながら就職活動と保育園探しを行い、出産から11か月で看護師の仕事に復帰する。
その3年後、第2子を妊娠し、翌年出産。しばらくして、「4歳の息子と生まれたばかりの娘を育てながら、夜勤のある看護師の仕事を続けるのは難しいのではないか」と悩んだ佐伯さんは、退職を決意し、専業主婦になった。
夫は子どもとよく遊んでくれた。家にいることより外に遊びに出ることが好きで、休日の度に車で、夏は海やキャンプ、冬は雪遊びやスキーなどに出かけた。
「夫は家事は一切しませんが、私も『これをしてほしい』などと頼んだことはなかったと思います。夫は毎週遊びに行きたがる人で、私は計画的な旅行は好きですが、思いつきで出かけるのは嫌でした。基本的に節約・貯金の考えで、日々の暮らしを丁寧にしたいんです。子どもの教育に関しても、夫は『子ども自身が好きなことを見つけて進めば良い』という考えで、私は『お勉強や習い事をさせて可能性を広げて、導いてあげたい』『大学は当然。理系なら院まで』という考え。全くといっていいほど考え方が合いませんでしたが、わかったのは結婚してから。結婚前は、無意識に私が夫に合わせていたのかもしれません……」
結婚して子どもができると、お金の使い方や子どもの教育観などの違いから、喧嘩が絶えなくなった。
「息子が5歳になった時、誕生日プレゼントに夫が2万円のラジコンを買ってきた時や、車を買い換えると言って、一番高いグレードのものを選んだ時は、大喧嘩になりました」
しかし一方で、佐伯さん自身も極端だった。家で飲むビールや飲み会代は別で、夫のお小遣いを2万円とし、2人の子どもたちの習い事に、1か月10万円使っていた頃もあったという。
「子どもたちが小学校から高校くらいまでの頃の私は、『勉強しなさい!』『早くやりなさい!』が口癖でした。やることをやらないと、ついイライラして怒ってしまう。心のどこかで『ちゃんとしてほしい』『できて当たり前』と思っていたんだと思います。でも、それって私の理想を子どもに押しつけていただけでした」
それは夫に対しても同じだった。「なんで○○してくれないの?」「どうして私ばっかり?」と不満をぶつけてばかり。いつしか夫と会話する時は、普通にしていても、まるで責めているようなキツイ口調になっていた。
文/旦木瑞穂













