「本当は大学に行きたかったけど親が…」
「四天王」と呼ばれていたA子は売春をしていたことは認めたが、売春相手への詐欺行為や窃盗については否定していた。取材にも淡々と応じた彼女は、そもそもなぜ売春を始めたのだろうか。
「いわゆる毒親育ちで、幼少期から中学までは親から暴力に加え、風呂場の脱衣所に何時間も閉じ込められたり、犬のリードで繋がれたりしていました。
けど、親はある学校法人の代表で、教育熱だけはあって塾にも行かせてくれてたし、私も勉強が嫌いじゃなかったから、中学の全国模試では全国13位になったこともあるんですよ。
一方で、全員父親が違う3兄妹の真ん中の私だけ、『義務教育が終わるから中学を出たら働け』って言われてましたね。たぶん、私の父親が一番ロクデナシだったから。
結局、高校まではなんとか行かせてもらえたけど、修学旅行とかのイベントごとにはお金を払ってくれない、いわゆる金銭的DVが始まった。それで、高校時代からバイト漬けで、タイミーで朝までバイトしたり、“大人アリ”(セックスあり)のパパ活も始めていました」
高校卒業後は、親が代表を務める学校法人の関係先に半ば強引に就職、学童施設で3カ月ほど働いていたという。
「本当は大学に行きたかったけど、親が看護科か教育学部しか許してくれなかったし、世帯年収が高くて奨学金がもらえなかったから、『もういっか』ってあきらめました。
とにかく親の監視下から離れたいと思って、こっそりピンサロやデリヘルでアルバイトを始め、ある程度のお金が貯まったら学童の仕事は飛んだ(連絡せず辞めた)。その後はコンカフェやデリヘルの仕事を転々としつつ、メンコン(メンズコンセプトカフェ)やホストに通い始めて好きな担当も見つけて貢ぐようになりました」
「自身は才女だけど家庭環境が悪かった」と主張するA子が、新宿で“立ちんぼ”になったのはこうした生活を始めて半年ほど過ぎた頃だった。
「デリヘルのスタッフが、『待機の間、立ちんぼすればもっと効率的に稼げるんじゃない?』って。試しに立ちに行ったらすぐに買われて、デリヘルのバックの倍額をすぐに稼げた。それで、デリと立ちんぼを両立してたら、立ちんぼの常連客がどんどん増えていって、自然と立ちんぼ1本の生活になっていきました」