「遊び回りたいなら、バンドが終ってからにしろ」

1994年の9月下旬、オアシスは母国イギリスを離れ、初の全米ツアーでアメリカ中を回っていた。

デビュー・アルバム『オアシス(Definitely Maybe))がリリースされたのは、約1か月前の8月末。全英チャートでは初登場1位を獲得して大きな話題となっていたが、バンドはすでに次の目標に向けて動いていた。

オアシスが「世界一のロックバンド」であることを証明するため、アメリカ、ヨーロッパ、日本などを忙しく飛び回っていたのだ。

イギリスで200万枚以上、全世界では500万枚のセールスを記録しているデビューアルバム『オアシス』(1994年9月8日発売、Sony Music)のジャケット
イギリスで200万枚以上、全世界では500万枚のセールスを記録しているデビューアルバム『オアシス』(1994年9月8日発売、Sony Music)のジャケット
すべての画像を見る

この時、ノエル・ギャラガーは27歳。ロックの世界においては何人ものミュージシャンが亡くなっていることから、あまり縁起が良いとはいえない年齢だが、ノエルにとっては人生が終わるどころか、まさにこれからというところだった。

事件が起きたのは9月29日。この日は、ロサンゼルスの歴史あるナイトクラブ「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」での公演だった。

イギリスで噂の新人がどんなものなのかひと目見ようと、会場には多くの人たちが足を運んでいた。そのなかには、ノエルが敬愛するビートルズの元メンバー、リンゴ・スターの姿もあったという。

ウィスキー・ア・ゴー・ゴー(写真/Shutterstock)
ウィスキー・ア・ゴー・ゴー(写真/Shutterstock)

ところが、この日の彼らの演奏はひどい有様だった。その原因の一つは「クリスタル・メス」にあった。中毒性が特に高いことで知られるこのドラッグをアメリカで入手した、ノエルの弟でヴォーカルのリアムが、事もあろうに使用していたのだ。

最後の曲が終わって楽屋に戻ると、ノエルは怒りを爆発させた。

「お前らが持っているものをすべて出せないんだったら、俺はやりたくない。遊び回りたいなら、バンドが終ってからにしろ」

翌日、メンバーが泊まっていたホテルにノエルの姿はなかった。メンバーもスタッフもすぐにノエルを探したが、どこを探しても見つからなかった。

ノエル・ギャラガー(写真/Shutterstock)
ノエル・ギャラガー(写真/Shutterstock)

途方に暮れていると、イギリスにいるはずのスタッフ、ティム・アボットが慌てた様子でやって来た。深夜にノエルから電話があり、謝罪とともにバンド脱退の意思を伝えられたのだという。

「もうやめだ。バンドはお終いさ。嫌なヤツらばっかり揃いも揃ってやがる。俺はこんなバンドはもうごめんだよ」

ノエルの言葉に深刻さを感じたアボットは、急いで飛行機に乗り、アメリカツアー中のオアシスのもとへ飛んで来たのだ。バンドとスタッフは、オアシスが深刻な解散の危機にあることを感じ始めた。