アメリカで「ロック」復権、その時のイギリスの回答が“オアシス”

1990年代前半。アメリカではそれまでの商業音楽の象徴だったヘヴィ・メタル、あるいはベテランアーティストの計算され尽くしたサウンドを否定するかのように、ニルヴァーナやパール・ジャムらのグランジ勢を筆頭とする荒々しいオルタナティヴ・ロックが隆盛。

レッド・ホット・チリ・ペッパーズらのミクスチャーやグリーン・デイらのポップパンクも脚光を浴びる。

こうしてアメリカで「ロック」が着実に復権されていく中、イギリスからの回答がオアシスだった。1994年4月5日、ニルヴァーナのカート・コバーンが自殺してから6日後の11日。オアシスは『Supersonic』でデビューした。

労働者階級代表のオアシスは、同じくイギリスのバンドで中産階級代表のブラーとともに、「ブリット・ポップ」としてUKの音楽シーンを席巻。二つのバンドのライバル対決も抜群の宣伝効果となり、1995〜97年に狂乱期を迎える。

デビューシングル『Supersonic』(Sony Music、1994年7月14日発売)。今年、オアシスはデビュー30周年というビッグ・アニバーサリー・イヤーを迎えている
デビューシングル『Supersonic』(Sony Music、1994年7月14日発売)。今年、オアシスはデビュー30周年というビッグ・アニバーサリー・イヤーを迎えている
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映画『トレインスポッティング』をはじめとした英国産のカルチャーが爆発して、日本のファッションやストリートシーンにも大きな影響を与えた。当時の首相ブレアが掲げた「クール・ブリタニア」や「ブリット・ポップ」の中心にいたのは、間違いなくオアシスだった。

最も有名なロックンロール・バンドになった彼らは、90年代の残りとゼロ年代を駆け抜けて、2009年に解散。原因はノエルとリアムのギャラガー兄弟の度重なる確執だったのは言うまでもないが、その栄光の始まりも、この二人なくしてあり得なかった。