売れっ子すぎて妻や子どもらとはすれ違いの生活だった
28歳で秋田から上京し、セクシー男優としてデビューした加藤鷹氏。「仕事は選ばない」主義で1996年には成人誌「オレンジ通信」の男優賞や1998年の「第8回東京スポーツ映画大賞主演AV男優賞」を受賞するなどトップに上り詰める。
セクシー女優との浮名は樹まり子との交際が「FRIDAY」などで報じられるが、結婚し3人の子をもうけたのは同じく元セクシー女優の麻生早苗だった。
「当時だと、男優と女優の恋愛は御法度なんて風潮もあったかもしれないけど、俺はそんなことは気にしなかった。だからって誰とでも恋愛するわけじゃないし一般的な男女が惹かれ合うように、まり子とも元妻ともプライベートで交際し同棲した。
まり子と結婚に至らなかったのは単純に子どもに恵まれなかったから。元妻は一度、流産してしまったけど、それをきっかけに結婚し、その後、すぐに長男が産まれました」
早苗氏は結婚するときにはすでに女優業を引退していたが、鷹氏は男優業を続行。そこには抵抗感はなかったのかと問うと「ない」と断言。
「昭和一桁生まれの警察官の父親のもとで育った俺ですが、20代前半までは悪いことばかりしていた時期もある。でも28歳で業界に入り、人間としても男としても成長させてもらった。愛する女との間に子供が欲しいと思う気持ちは当然あったけど、この業界の仕事に誇りがあったから、抵抗感なんてあるわけがない」
その後、2歳下の長女、3歳下の次女と子どもが生まれるが、当時の鷹氏は月に30本以上もの作品に出演。昼に家を出て深夜まで帰れないなど、妻や子どもらとはすれ違いの生活が続いた。だが卒園式など大事な子どもの門出の場には出席した。
「妻は息子のサッカークラブの活動につきっきりだったから、娘2人の参観や卒園式などは出ましたよ。周囲の目ですか? もちろん「あ、加藤鷹」みたいな父親からの視線は当然ありました。でも、まあ当時の居住エリアは一応、それなりに治安のいい閑静な住宅街ですから、変に声かけてくるような父兄も先生もいませんでしたよ」
子どもたちとの時間は少なかったが、要所での関わりは大事にしたという。
「男親は余計なことは言わず稼ぐことが第一で、妻や子どもに何か問題があった際、要所でできる行動を取ろうと思っていました。長男が小学生の時、一度だけ『学校に行きたくない』と言ったことがあった。何の理由かはくわしく聞かなかったけど『学校は勉強だけしに行く場所じゃない。お前が来なかったら友だちが心配するかもよ』と言ったら納得したのか登校したんです。下校後に『行ってどうだった』と聞いたら『よかった。楽しかった』と」