金融政策の帰結は必ず国民生活に跳ね返る
だが現実はどうか。外食チェーンの店長に年収二千万円が提示される一方で、命を支える医療や介護や保育は低賃金に放置されている。人材は使命感ではなく報酬のある場所へ流れる。逆立ちした現実は皮肉を通り越して悲哀そのものである。
数字上はGDPも税収も膨らみ、家計金融資産も過去最高を更新した。だがそれは円安と株高の虚像にすぎない。一人当たりGDPは国際比較で後退を続け、日本人は「安い国」の住人となった。アジアへ旅行した日本人が購買力の差に愕然とする。その現実が何より雄弁に物語っている。
ETF売却に「100年」という言葉を添えた総裁の姿は、金融緩和という宴を終わらせたくない本音を示すと同時に、後世に丸投げする無責任を露呈した。
そこには株価暴落による大ブーイングを避けたい思惑が漂う。諦めの白旗とも取れる発言は、無責任でキテレツな響きを持ちながら、金融政策の失敗を象徴するフレーズとして歴史に残るだろう。
それでも現場を去らずに使命感を胸に働き続ける人々がいる。夜を徹してナースコールに応じる看護師。痰の吸引やオムツ交換に追われ dignity(尊厳) を守る介護士。生活に余裕はなくとも子どもを支える保育士。
いずれも国家資格や免許を取得し、親も本人も努力を重ねて手にした専門性である。にもかかわらず、その誇りと専門性だけでは食べていけず、副業や夜勤に追われる矛盾を抱えながらも、なお現場に立ち続けている。こうした人々の献身こそが、この国を土台から支えている揺るぎない事実である。
金融政策の帰結は必ず国民生活に跳ね返る。虚像に酔ってはならない。こうした現場をどう支えるかこそが政策の使命である。歴史は繰り返す。誰も予想だにしない逆回転の恐怖は、楽観のバイアスに包まれた市場に大災害前夜の静けさのように静かに忍び寄り、しかし確実に迫っている。
だからこそ私は声を大にして言いたい。統計や株価の幻影に惑わされず、困難な日々を抱えながらも使命感を胸に現場を支える医療従事者や福祉の人々に、心からの敬意とエールを送りたい。あなた方こそがこの国の最後の支えであり、未来をつなぐ希望なのである。
文/木戸次郎