北清水はソロ活動、奥山は裏方へ

――他事務所に移籍して、サスケとしての活動を続けるという選択肢は?

北清水 それはお世話になった事務所に義理を欠くことだと思ったので。ふたりで話し合って決めた解散ですが、言い出したのは僕からです。今だから言えるんですけど、頑張っても光が見えない苦しい5年を過ごしたことで精神面にもダメージはありました。

奥山 僕も同じ気持ちでした。30歳も過ぎていたし、「人生をやり直すなら今なのかな」と。だから解散は承諾というより「そうだね」という感じで。“解散=仲たがい”と思う人もいるかもしれないですけど、全然そうじゃないです。解散ライブもめっちゃ楽しかったです。

――解散後はどう過ごしていた?

北清水 僕はソロ活動に移行しました。

奥山 僕は声をかけてくれた芸能事務所で裏方として働いたり、イベントでMCのお手伝いをしたり。音楽からは離れていましたが、相方がラジオ出演するときに“ゲストとして出てよ”と声をかけてくれたので出演したりね。

北清水 だからそんな感じで、友達関係のまま。

――解散後、『青いベンチ』は『青春アカペラ甲子園 全国ハモネプリーグ』(フジテレビ系)で歌唱されたり、テゴマス(増田貴久と手越祐也のユニット)にカバーされたり、音楽配信サービス『AWA』やほかのランキングの上位に突如登場したり。ひとり歩きを始めた自分たちの曲をどう感じていましたか?

北清水 “すごいね~”なんて話してましたね。

奥山 連絡は取っていたので。ゴハンに行ったこともありましたし。新たな動きを、早く知ったほうが伝えるみたいな感じでしたね。

サスケの二人(左から)奥山裕次、北清水雄太 撮影/齋藤周造
サスケの二人(左から)奥山裕次、北清水雄太 撮影/齋藤周造