家でも、職場・学校でもない、サードプレイスで社交術を磨く
ーー著書『SISTER“FOOT”EMPATHY』のテーマでもある「シスターフッド」について、あらためてブレイディさんの考えを聞かせてください。
ブレイディみかこ(以下、同) シスターフッドって、辞書にはふたつの意味が書かれているんです。ひとつは女性同士の姉妹のような関係という昔ながらの意味、もうひとつは女性たちが連帯して何かを勝ち取るために闘うという意味。
シスターフッド自体は昔からある言葉ですが、近年、またみんなが使い始めているのを感じます。それこそ、数年前には女性の生きづらさを描いた『82年生まれ、キム・ジヨン』という本が話題になりましたが、それを読んだ韓国の女性の多くは怒りを覚えたのに対し、日本の女性は涙する人が多かったといいます。それって、すごく大きな違いだなと思うんです。
とはいえ、最近は日本でも政治的なシスターフッドに目覚めた人が増えてきて、SNSでも活発にやりとりが行われています。ただ、意見の食いちがいによる分断や対立に発展してしまうこともあって。そんな状況では、社会を変えるために共闘しようとはならないですよね。
かといって、「明日から、またこの腐った日常をがんばって生きよう」と慰め合っても、腐った日常は変わらない。だからこそ、シスターフッドという言葉が、その両面を統合した意味にならないかなと考えたのが、この本の始まりでした。
ーーシスターフッドは、女性たちがつながるところから始まる。そう考えると、電車でとなりになった人やお店で初めて会った人と言葉を交わす習慣が、海外に比べ少ない日本では少しハードルが高く感じるかもしれません。そのハードルを超えるには、どのような意識が必要でしょうか?
たしかに、私の住んでいるイギリスでは、みんな道端でよくしゃべりかけるし、しゃべりかけられることも多いです(笑)。
ただ、それだけじゃなく、日本は、個人がいてその先にいきなり政府があるという構造が大きいかもしれません。本来、そのまわりにあるはずの、いろんな団体やコミュニティに関わっていない人が多すぎるのではないかと。
つまり、ファーストプレイスの家でも、セカンドプレイスの学校や職場でもない、サードプレイスが圧倒的に少ないんだと思います。
たとえば、イギリスではパブが地域のハブになっています。ふらっと行けば誰かしらいて、雑談の中で「サッカーチームを作ろう」「なにかのチャリティーをやろう」と自然と団体が生まれていく。また、大多数と言っていいほど、みんながボランティアをしているんですよね。その活動自体がサードプレイスになっていて、そこで社交術を磨いている部分はあると思います。
日本でも、サードプレイスになりえる場所がもっと増えるといいですよね。実際、その兆しみたいなものは感じます。個人経営の書店が読書会を開いたり、カフェがイベントをしたりして、地域のハブになろうとしている。そういう場に通う人が増えれば、つながりができやすいですし、話しかける訓練も、話しかけられる訓練もできますよね。
だから、もし近所に気になる場所があったら、ふらっと入ってみたらいいのではないでしょうか。辛い思いをする場所ではないし、一度入ってしまえばその後は楽に行けるようになるはずです。