「ハナから根來さんには期待していなかった」
ストをするためには、組合員による投票でスト権を確立しなくてはならない。古田は12球団の各選手会長に意義を伝え、自球団の主力である選手会長とはあまり接点のない二軍の選手たちには、松原徹事務局長が足を運んで何度も説明を繰り返した。
7月27日から8月8日にかけてセ・パ両リーグの全選手を対象にスト権投票が無記名で実施されると、752人中661人の投票で賛成は648票、反対7票、その他6票であった。実に98%がストに賛成したのである。8月12日、選手会はスト権を確立した。
この頃、一枚のマル秘文書の存在が明らかになっていた。発信者は根來泰周コミッショナー(元東京高等検察庁検事長)で、送信先は各球団のオーナーたちであった。
内容は坂井の章でも触れたが、要約して再度記すと、「選手会なるものが、ストライキを企てているが、その場合は球団はストによって発生した損失のすべてを、選手会に求めることができる」というもの。
選手会がガバナンス違反をしているとの主張だが、これは事実ではない。労働組合認定されている選手会には公然とストをする権利があるからだ。
つまりこれは、デマを基にした扇動であった。東京高検検事長というキャリアを持ち、本来であれば、プロ野球の縮小化を憂いて事態を裁くべき立場にあるコミッショナーによる組合潰しの恫喝文書であった。
古田もこの根來文書のことは、知っていた。しかし、怒りとは違う感情が彼を覆っていた。
「正直なこと言いますと、ハナから根來さんには期待してなかったんです。コミッショナーの選定を誰がやっているかと言えば、要は渡邉恒雄さんのお友達が呼ばれて『はい、来年からこの人がコミッショナーです』と言われて決まるんだよと、いろんなオーナーから僕らも聞かされていたんです。
ただ、根來さんは法曹界の方なのでね。法で認められた権利であるストライキを『潰せ』ってオーナーを焚つけているということを文書で知ったときは、まあひどい話だなと思いました。それでも嘆いている暇もなかったのですから」
オーナー側の主張は当初から矛盾だらけだった。「経営難だから」と、言いながら8月には、明大の150キロ右腕・一場靖弘に対する巨人の金銭授受問題が発覚し、その後、横浜、阪神も同様の問題が露見した。
4球団のオーナーが辞任という前代未聞の不祥事となったが、これも氷山の一角で裏金は無尽蔵にあるのかという批判がなされた。パ・リーグが不人気で苦しいということであれば、米国のように収益分配システムを作る方向に議論が向くかと言えば、それもなされない。
近鉄本社とオリックス本社は8月10日に合併契約書に調印する。既成事実が積み重ねられていく中、古田率いる選手会はこの流れを止めるために同月27日にカウンターとして、合併差し止めを求める仮処分申請を東京地裁に出した。
選手会は、「野球協約の中で定められている特別委員会でこの問題を話し合い、議決をしない限り、NPBは合併を承認してはならない」と主張した。
合併は一部オーナーの経営問題ではなく、球団潰しによって解雇される選手は増え、その地位を侵害する行為である。だからこそ、選手と球団の間で権利改善などを協議する特別委員会を招集して、選手と話し合って議決すべき大きな事案であると訴えた。
9月3日、東京地裁はこれを却下した。土田昭彦裁判官は「合併についての承認は特別委員会の議決事項には当たらない」と判断したのである。
一見、完敗に見えるが、ここで選手会は重要な決定を引き出している。抗告後の東京高裁(同年9月8日、原田和徳裁判長)において裁判所は「選手会は日本プロ野球組織との団体交渉の主体になりうる」と認定したのである。