ストレス限界でラジオで放送禁止用語 

――そして、初登場で『らんちう』、2週目で『さよなら人類』を披露するなどお茶の間の度肝を抜き、あれよあれよと「グランドイカ天キング」に。大フィーバーだったかと思いますが、当時を振り返るとどんな毎日でしたか?

おもしろかったですよ。スケジュールはものすごく大変だったけど、毎日ウキウキしてました。

――相当モテたのでは?

まぁ太ってた小学生時代に比べればね。走るより転がしたほうが速いんじゃないかってくらい太ってたから(笑)。

――家バレもしていて、女性ファンがよく来ちゃったらしいですね。起きたら女子高生が知久さんの枕元に立っていた、なんて伝説もありますが。

それは本当なんですけど、ギリギリ不法侵入じゃないと思うんだよね。僕は当時、大家さんの敷地にある四畳半くらいの一間の離れに住んでて、その部屋の掃き出し窓が隣の家との間にある、人も通らないようなほっそ~い路地に面してたの。

で、ある日その窓を網戸にして頭を向けて寝てたら「知久さん、知久さん」って声が聞こえてきて。起きたらその路地から制服を着た女子高生がこちらを覗いてたっていう。

パーカッションの石川浩司氏が原作の実録漫画『「たま」という船に乗っていた』では知久氏を女好きとする描写もあったが「あの人はメダカにクジラの尾ひれをつけるから……(笑)」とやんわり否定
パーカッションの石川浩司氏が原作の実録漫画『「たま」という船に乗っていた』では知久氏を女好きとする描写もあったが「あの人はメダカにクジラの尾ひれをつけるから……(笑)」とやんわり否定

――怖すぎる(笑)。

でも家の中に踏み込んだわけじゃないからね。もしかしたら網戸は開けられてたかもしれないけど。

その子とは何十年後かに高円寺の飲み屋で会ったよ。「ごめんなさい。私、昔知久さんの家に行っちゃったことあるんですよ。覚えてます?」って。覚えてるに決まってるでしょ(笑)。

――そんな熱狂ぶりに、いくら最初はウキウキだったとはいえ、辟易したりはなかったんですか?

まぁ取材対応だったり撮影だったり、音楽以外のところでしんどかった部分はありますよ。インタビューは何回も同じこと言わなきゃいけないし、新聞記者の面倒くさそうに話を聞く感じも苦手で。

こっちは一生懸命説明してるのに結局記事に全然反映されない。最初から記者が知ってる情報だけで書かれたりすると、俺たちは何のために時間をつぶして取材を受けてんだろって気持ちになりましたね。

『さよなら人類』では石川氏の「着いたー!」という叫びのインパクトが強く、地方へ行っても「“着いた”の人だ」と指を差されることもあったという
『さよなら人類』では石川氏の「着いたー!」という叫びのインパクトが強く、地方へ行っても「“着いた”の人だ」と指を差されることもあったという

 ――ストレスも溜まりますね。

とくに(パーカッションの)石川(浩司)さんが溜まってたみたいで、それが爆発したのがあるラジオの公開収録。

あの人は怒られるのが大の苦手で、5秒沈黙すると放送事故になるラジオなんかだと2秒も黙ってられないくらい気が小さいんですよ。僕への質問だって僕が数秒のんびり考えてると、石川さんが代わりに答えちゃうくらい。

そのくせにその日はもうストレスが限界だったみたいで、自己紹介のときに「×××リーノ石川で~す」って言っちゃって。

――めちゃくちゃ差別用語!

「おー旦那、ついに言っちまったか」と他のメンバーもそれに乗っかってラジオはめちゃくちゃ。次のゲストで控えてらした河内家菊水丸さんにも「ひどいですね」と呆れられました。菊水丸さんとは仲良くなりたかったんだけどな。