「松井監督は休養に入られます」
なかなか結果が出せなかったライオンズ時代。
3年目の2024年になると、球場から帰宅する車の中で、あれはこうだったか、あの選手には明日こうしようと、考える日が続いた。
プロ野球の世界は厳しい。
チームの雰囲気を変える、といったことを徐々に浸透させていこうにも、最後は選手の能力がモノを言う。監督、コーチはそれをいかに伸ばし、最大限発揮できる環境を作れるか……できるのはそれだけだ。
戦力差、という意味では同じパ・リーグのホークスが図抜けていた。
もともとカズさん(松井稼頭央)とは、2〜3年をかけて種を巻く。その中で、「あの選手のここを伸ばせれば」「ここがこう、ハマれば」上位争いもできるはずだ、と考えていた。
特に、前年に2桁勝利をマークした高橋光成、今井達也、平良海馬の3人をはじめとする先発陣はリーグ屈指だと言えた。中継ぎの奮起と、野手もチームが力を入れている走塁を起点に1点をもぎ取る野球を展開し、ロースコアゲームを多くものにできれば……。
けれど、想像以上に勝てなかった。
チームの低迷と監督への風当たりは比例する。僕自身も経験したことだ。
僕を必要としてくれたカズさんが、ときどき「なかなか、うまくいかんなあ」と漏らしたとき、申し訳ない思いでいっぱいだった。
このシーズン、ライオンズは開幕戦から3カード連続で勝ち越しと、上々のスタートを切った。ところが、4カード目の初戦となる千葉ロッテマリーンズ戦から7連敗。ようやく勝てたかと思えば4連敗。また勝利を挟んで4連敗。さらには5月に入ってから8連敗を喫するなど、上位争いはどんどん遠のいていった。
そして発表されたカズさんの休養。事実上の退任に、思わず涙がこぼれた。
書いてきた通り、縁もないライオンズのユニフォームを着ることになったのはカズさんがいたからだ。PL学園の大先輩であり、プロ野球界のスター。中学も同じ地区で、「松井稼頭央」の名前は有名だった。イーグルス時代には、1年だけともに現役選手としてプレーをさせてもらい、翌年からは年下の僕がコーチでカズさんが選手、という関係が続いた。
休養の発表は突然だった。
交流戦前最後の試合、久しぶりの連勝を決めた試合後のこと。いつもコーチングスタッフで行うミーティングにカズさんの姿がなかった。しばらくすると球団のスタッフがやってきて言った。
「監督、球団に呼ばれました」
「マジで?何の話?」
「あんまり、いい話じゃないかもしれません」
翌日の先発投手など早上がりをした選手以外、スタッフを含め、全員が待機するようにと指示されていた。そして、球団の人がやってきて言った。
「松井監督は休養に入られます」
数時間前まで、まったく予期していない出来事に、「マジか……」と言葉を失った。













