コミュニケーションですべて解決?
結局ここまで述べたような問題は、コミュニケーションさえ取れれば解決できそうでもある。飲み会などインフォーマルコミュニケーションも使いながら、これからのキャリアについて話し合えれば、辞めたい気持ちがよぎっても建設的に前を向けるかもしれない。コミュニケーションのある職場はハラスメントも減る傾向がある。
でもそれは気が遠くなるくらい難しい。メディアやネットが面白おかしく尾ひれをつけてハラスメント大喜利を繰り出して、不安を煽るから。コミュニケーションを取ること自体が怖いから。
就活の面接みたいに妙にスラスラと思ってもいないことを語れることなど、われわれの日常にはほとんどない。つっかえながら、考えながら、途切れ途切れに思いを語り、相手の話を聞く。そういう不完全で面倒なコミュニケーションを重ねることでしか、わかり合えることなどないと思う。
社会に蔓延る不真面目さ
怖い気持ちを克服すべくコミュニケーションを取ろうとすることを妨げるものがある。「不真面目さ」だ。若者を例に考えよう。大学で教えていて「この講義では出席を取りません」と通達する。するとたまにこういうリアクションが返ってくる。
「そんなこと言って本当は、何回目かで抜き打ちで取ったりするんでしょう?」
ちょっと驚いて訊いてみると、高校までにそういう経験があるそうだ。いまそういうことをすると教員側が怒られるので大学ではそうそう起きないはずだが(教員への管理が厳しくなったことの証左でもある)…。課題や行事に真剣に取り組まない若者に問うと、半笑いで「本当はこんなの別にマジメにやるようなことじゃない」と返してくる。閑職のオジサンみたいな発想を既に身につけている。
ともかく、この手の話はよく聞く。「本当は」とか「実は」みたいな枕詞をともなって、常にハックや抜け道があるかのように考えているのだ(飲み会かどこかでウラ情報を得ているのかもしれない)。
ここで言う不真面目とは、目の前にいる人の言葉をそのまま信頼しようとはせず常に裏読みをして、隠された意図や目的を推測するような性向である。若者が不真面目なコミュニケーションを基軸にするのはとても危険だ。そして正直、先行世代である大人がそうさせているとしか思えない。
不真面目さが危険なのはインフルエンサーや悪徳業者の常套手段でもあるからだ。政府のメッセージや有名人の発言を常に信じず「本当は」「真の」といった文句で「あなただけは騙されてはいけない」と誘引する。
でもそう思ってしまう気持ちもわかる。地位の高い人たちが堂々とごまかした発言をする。一部マスコミの権威も失墜しつつある。就職活動だってフェアとは感じられない。社会が不真面目だから若者も不真面目になるのだ。
理解の根本に不真面目さを求めるコミュニケーションは健康的でなく、結果的に大きなコストと軋轢を招く。不真面目さには規範がないからだ。何かを頼りにしようと思っても、最後までエビデンスもデータもない。感想すらない。正解のない世界に対して、斜めに構えるだけの人生になってしまう。