若者も怯え迷って生きている

横向くシンドロームへの若者の反応は素直というか肯定的だ。その通り怖いんです、と。

「自分の意見を言うのは怖い」

「否定されたらどうしよう。味方がいると安心する」

「匿名性を好むのも、そういうことだと思います」

否定は怖い。誰しもそうだ。でもいまの若者は余計そうなのだと思う。

とある取材を受けていたとき、ちょうど取材してくださった方が「Z世代」だった。ため息交じりに言う。

「受験期も、失敗しないナントカっていう参考書が多くて。買ったんですけど、失敗したらどうなるんだろうって。若者に失敗を許さない世の中かもしれませんね」

自分の意見を言うのが怖い、否定されたくない、匿名じゃないと書けない。それを自覚しながら(別の)若者はこうも語る。

「でもそれは上司側からすると、他責思考なのだろうなと思う」

若者とて、逡巡と葛藤そして恐怖のなかで生きているのだ。それこそ昔からそうだったはずである。思春期という概念があり(そういえばあまり聞かなくなった気がする)、コンプレックス(複雑さ)を抱え、若者は生きている。

楽しいクラスで一体感を持ちつつ多元的な価値観だの、多様性を重視して倫理性が高いだの、なに抜かしとんねんと若者も思うのじゃなかろうか。こちとらそんな崇高な思想にたどり着く前の、もっと肌身の人間関係で悩んどるっちゅうねん。

写真/shutterstock 写真はイメージです
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同性愛への理解があるだとか、弱者への配慮が行き届いているだとか。親友がカミングアウトしてきて、即座に笑顔で素晴らしいね! って言えへんやろ(言える方は素晴らしい)。より正確には、「言えなかったら人間失格」みたいなのは違うだろ。驚き、考え、悩み、話し合い、そうやって違いを理解していくんじゃねぇのか。

それが年を重ねるということだ。熟達だ。年の功を捨てて若者こそ正しいとか言い出すのは、人間が学習できることをまるで無視した暴論であり空論だ。