二人称の不在

訊いたらええやん。なんでそんな簡単なことができなくなるのだろう。若者も年長者も、目の前の人間を見ることができなくなっているからだ。

筆者が折に触れて紹介しているエピソードがある。講義で学生に意見を求める。手を挙げていなくても当てることもある。で、当てられた学生の初動はほぼ決まっていて、苦笑いしながら横を見る。当てた教員ではなく隣の友達を見る「横向くシンドローム」だ。

心情を察するにあまりある。人が多い講義で当てられて話すのはなかなか怖い。失敗して笑われたらどうしよう。「うっわ、アイツ喋ってるやん」とからかう不逞の輩もいる(本当にいる。小学校のノリを卒業しろと強く注意する。Z世代が多様性を尊重?)。そういうリスクをふまえて、まず横の友達にお伺いを立てるのだ。当てられたけど喋っていい?イタくない?と。

この話を歴史学者の與那覇潤氏は「第三者過剰、第二者過少」と表現する。目の前にいる「あなた」が二人称。ところが若者は、いや老若男女が、だんだんと目の前の人に対して話さなくなっている。たとえばSNSは二人称が存在しないことも多い。常に誰かに向けているけど、特に誰ということもないのだ。

写真/shutterstock 写真はイメージです
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「あなたに言っているんだ」と言いながら他の誰かにアピールする。目の前の人が助けを求めても先に上司やお偉いさんの顔が浮かぶ。われわれは第三者を第一に気にするようになっていて、二人称のこころがすぐ吹っ飛んでしまう。

われわれはどうやら、目の前の人間すら無視できる程度に感覚が鈍麻しつつある。