ロック歌手・中村あゆみの始まり
80年代から活躍し、いまや女性ロック歌手の代表格としても知られる中村あゆみさん。そのダイナミックなサウンドとハートフルな歌声は、一歩前に踏み出そうとする人たちの背中を押し続けてきた。そんな中村さんが歌手になるまでの半生とは――。
幼い頃、両親が離婚し、大阪で父親と暮らしていたものの、3歳のころに父が再婚し、高校1年の時に福岡で高級クラブを経営する実母の元へ身を寄せることになった。
複雑な家庭環境を思わせる経緯だが、当時を語る中村さんの表情は全くと言っていいほど暗くない。
「大阪では遊びつくした感があったので(笑)。福岡も面白そうだからって決めたんです。福岡の高校は進学校で、当時男子が2000人に対し、女子は100人程度。めちゃくちゃチヤホヤされて楽しかったですよ。大阪時代(のヤンチャぶり)は封印して、アイドルみたいにふるまっていました(笑)」(中村さん、以下同)
そんな折、東京に住む作曲家の故・平尾昌晃さんの元へ行かないかという話が舞い込む。
平尾さんといえば当時、本業とともに歌手やタレントの育成にも力を入れていることで知られた存在だった。平尾さんと実母が知り合いで、母としては「(中村さんが)歌手になってくれたら…」という思いがあったという。
「母から『東京に行ってみたら?』といわれたとき、『歌手? なれたらいいけどね。それより東京! 楽しそうじゃん!』という気持ちのほうが強かったですね。誰も知り合いがいなかったけど、そんなことは全然気にもならなくて即上京を決めました」
ときはバブル景気真っ盛り。平尾さんの拠点が六本木だったため、中村さんは上京直後から華やかすぎる世界を体感することに。
当初は平尾さんのもとに内弟子的に住まわせてもらったものの、ほどなく飛び出し、自分でアパートを借り一人暮らしを始めた。
また、上京とともに転入したのは明大中野高校の定時制(現在は廃校)。芸能人が多く通う高校として知られ、同級生にはシブがき隊や少年隊のメンバー、三田寛子、石川秀美などがいた。
親の仕送りをあてにしたくなかったので、日中は学費等の生活費を稼ぐため貴金属店などで働き、夕方からは高校、真夜中は六本木……という日々で、「『歌手になる』なんて野望はすっかり忘れていた(笑)」という。
そんな中村さんに、運命の出会いが訪れる――。