『私の声は、この曲の楽器の一部なんだ』

「顔と声がミスマッチで六本木で遊んでいるユニークな女の子」の噂を聞きつけて、一人の女性がコンタクトを取ってきたのだ。それが、現在のマネージャーである石岡和子さんである。

石岡さんは当時の中村さんを振り返り、

「噂通り、自由奔放な野生の猛獣でした。『彼氏?いますよ』なんてあっけらかんと答えるし(笑)でも、天真爛漫なアイドルの要素もあり、すでに大人の魅力もある。なんとかして世に出したいと思いました」(石岡さん)

そんな折、2人の距離を一気に縮める、“アクシデント”が起こる。

「ボーイフレンドと遊んで家に帰ったら泥棒に入られていて、部屋はめちゃくちゃ。

もう散々だし、不安で怖くなって、思わず石岡からもらっていた電話番号に電話をしたら、『ここに来なさい』って。言われた先は石岡のお母さんが経営していたスナックで、泣きながら駆け込んだのを覚えています」(中村さん)

ひとしきり話をしたことで落ち着いた中村さんが石岡さんたちの前でカラオケを歌っていたところ、偶然訪れたのが、その当時THE ALFEEの作詞などをし始めていた高橋研さんだった。

高橋さんといえば、自身もアーティストとして活動しつつ、後に美空ひばりさん、小泉今日子、沢田研二、矢沢永吉、おニャン子クラブなど、錚々たる歌手の作詞、作曲を手掛けたことで知られている。

スターの素質を熟知する彼が、中村さんの才能を見逃すはずがなかった。

「高橋さんが、『あの子はロック歌手として絶対に売れる。僕にプロデュースをさせてほしい』と言ってくれたんです」(石岡さん)

高橋さんの言葉を聞いて「絶対にデビューさせたい!」と思ったと語る石岡さん。そんな彼女からの説得に、楽しさとたくさんの人を喜ばせることができそうだという未来を見た中村さんは、新しい一歩を歩み始めることを決意する。

デビュー当時を語った中村あゆみさん(本人提供)
デビュー当時を語った中村あゆみさん(本人提供)
すべての画像を見る

ロック歌手・中村あゆみの始まりだ。

「高橋さんから楽曲をもらったとき、良い悪いとか、『私の曲!』といった感動ともまた違って、『私の声は、この曲の楽器の一部なんだ』というようなものを感じました。レコード会社の人たちや石岡など、たくさんの人が関わってくれていたのを見ていたので、みんなの覚悟が伝わってきましたね」