「あゆみちゃんは、私のビタミン」

1984年に本格デビュー。そこから1年たった1985年に発表したサードシングル『翼の折れたエンジェル』が大ヒットする。

一躍人気者になった中村さんは歌手として多忙な毎日が続いた。とはいえ、「自由奔放な野生の猛獣」ぶりは、ちょっとやそっとでは崩れなかったようで……。

「相変わらず六本木にも出かけていたし、人と知り合うのが大好きだからよく遊びにも行ってましたよ。石岡をはじめ事務所のスタッフからも“恋愛禁止”と言われたことがなかったから。むしろ『写真週刊誌に追われるような存在になったのならすごいね』って(笑)」(中村さん)

「すでに彼氏がいたっていい年頃でしたし、なによりあゆみちゃんに『大人しくして』なんて言っても聞くわけがない(笑)。誰にでも、何事にも物怖じせず飛び込むのがあゆみちゃんの性分ですから。私なんて、あゆみちゃんに振られた男性たちに何度呼び出されて、どれだけ泣き言を聞かされたことか(笑)」(石岡さん)

出会ってから約40年、紆余曲折がありつつも二人三脚で現在までやってきた。

石岡さんは、中村さんよりひと回りほど年上だ。ここ数年は体調を崩したこともあり、何度も引退を考えたという。

「白内障が進んでしまい、ものがよく見えなくなってしまって。手術はしたんですが今後迷惑もかけられないし、ちょうどコロナ禍で、仕事も少なくなったしと『もうマネージャーを辞める』って伝えたんです」(石岡さん)

「(石岡さんが)目がよく見えないものだから、歩くのが遅くなってね。振り返ったら『まだそこにいるの?』なんて感じになってしまった。

でも、私には彼女が必要ですから。『電話番だけでもしてよ。働かないともっと取っちゃうよ』って、結局辞めさせませんでした(笑)」(中村さん)

その後、石岡さんの目の症状は順調に回復。コロナ禍も落ち着き、以前のように2人で現場入りする日々が戻ってきた。

中村さんからの言葉に「……歳を取ると涙もろくなっちゃって(笑)」と、言葉を詰まらせながら目を抑える石岡さんはこう話した。

「あゆみちゃんは、私のビタミン。いろいろあったけれど、70歳過ぎた私をここまで元気にしてくれているんだから、私もまだまだ頑張らないと、って思いますね」(石岡さん)

長年連れ添った敏腕マネージャーの言葉に中村さんは「もうー! 泣かないでよ〜(笑)」と明るい表情で大きく笑った。そんな2人の目下の目標とは。

「1月に石岡が『今年の目標として、あゆみちゃんを紅白に出す!』って言ったんですよ。実は何度かお話もあったんですけど、当時のプロデューサーの高橋研さんが、『アーティスト売りをしていくのに紅白は違うだろう』という方針で辞退したんですよね。だけど、やっぱり日本の歌手ですもの。一度は出たい(笑)。石岡のためにも。皆さん、応援してくださいね!」(中村さん)

いつも一緒に夢を見られる存在がいる――。それも、中村あゆみの生きざまの賜物だろう。

中村あゆみさん(本人提供)
元気いっぱいの中村あゆみさん(本人提供)
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PROFILE 中村あゆみ(なかむら・あゆみ)●1966年6月28日、大阪府生まれ、福岡県育ち。1984年に高橋研プロデュースによるシングル『MIDNIGHT KIDS』で歌手としてデビュー。翌1985年にリリースした3枚目のシングル『翼の折れたエンジェル』が日清カップヌードルのCMに起用されて大ヒットを記録する。1999年の出産を機に音楽活動を休止したが、2004年に2度目の離婚を経て、歌手活動を再開。

10月24日に大阪・ビルボードライブ大阪、31日に神奈川・ビルボードライブ横浜でワンマンライブ「中村あゆみ AYUMI NAKAMURA WONDERFUL NIGHT 2025 40th Anniversary 熱く、美しく、ときめきの夜AYUMI WORLD全開」を開催。

取材・文/木原みぎわ