「耳が聞こえない」難聴の苦悩

僕たちが、ベートーベンの性格を知ることができるのは、彼がそれだけ多くの人と接していたからです。しかし、そんなベートーベンも、30歳になる頃から人との接触を避けるようになります。

その原因は、聴力の衰えにありました。

ベートーベンには多くの支援者がいましたが、彼が手紙に記したように、多くの敵もいました。彼は、敵に聴力の衰えを悟られることを恐れ、社交の場から距離を置くようになります。

人々との距離をとるようになってから2年が経った頃、ボンの親友ヴェーゲラーに宛てた手紙でこう書いています。

「私が惨めな日々を送っていることを告白しなければならない。ここ2年間というもの社交行事を避けてきた。なぜなら、私は耳が聞こえない、ということを誰にも言えないからだ。

もし私が違う職業の人間だったら、その告白はそんなに難しいことではないだろう。けれども私の職業ではそれは非常に不利なことなのだ。決して少なくはない私と敵対関係にある人がこれを聞いたら、いったいなんと言うだろう」(引用:ニューグローブ音楽辞典)

ベートーベンは死後多くの手紙を残した(画像はイメージです) 画像/Shutterstock
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ベートーベンは自分の聴力の衰えに関して、あくまで一時的なものであり、いつかはもとに戻るだろうという希望を持っていました。しかし、医師の治療も効果が現れず、その希望も徐々に失われていくことになります。

その頃、彼は少しでも耳への負担を減らすようにという医師の助言の下、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットで過ごすことになります。

ここで、聴力は永遠に戻らないだろうと確信するのです。

そうして書かれたのが、「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる遺言状です。弟のカールに宛てたもので、その中ではベートーベンが自殺を考えたことや当時の苦悩が告白されています。

しかし、彼はここで自殺という選択をとりませんでした。芸術家としての使命を果たさなければならない、と考えを改めたためです。遺書には、彼の使命感と強い意志が表れています。そしてそれはベートーベンを知る多くの人の心を打ちます。