容姿に恵まれていても“親がいる子”には敵わない
マネージャの心配をよそに芸能活動は順調だった。人気子ども向け教育番組、大手ゲーム会社のCM、少女向け雑誌のモデル…など着々と仕事が決まった。だが彼女は常に「劣等感を感じていた」と話す。
「そもそも、芸能活動をする子は裕福なんですよね。白金、松濤、麻布に住んでいるような子が多かった。オーディションもみんな毎回違う洋服で、人気子供服ブランドに全身を包んでいました。
複数人での撮影があったときは色味が被ってしまったりすると、『着替え持ってる?』と聞かれ、その度に心がギュッと小さくなるような感覚でした。私はいつも施設から支給されたサイズの合っていない“誰か”のお下がりの洋服だったから。
左右が違う靴下の時は『あ! 間違えて履いてきちゃった』って嘘をついて笑ってました」
事務所のレッスンは完全無料だったものの、まわりはお金を払って有名な先生からダンスレッスンやウォーキングのレッスンを受けていて、羨ましく感じたそうだ。その様子を見た彼女は「親が最大のサポーターなんだな…」と幼いながらに理解した。
「レッスン帰りに親子で原宿へ行ってクレープを食べたりすることがあったんです。でも、『うちはママが厳しいから』と嘘をついて帰っていました。施設からのルールで往復の交通費しか支給されなかったから、クレープなんて買う余裕なかったんですよね」
さらに少女漫画誌で「たまごっち」の紹介をする誌面のモデルに選ばれた際にはこんなこともあった。
「私を含め5〜6人くらいの女の子が選ばれたんですが、全員自分のたまごっちを持って撮影するという企画だったんです。でも私はたまごっちを持ってなくて。『なんでたまごっちを持っていない子が受かったの?』ってママたちの声が聞こえてきて、もう涙を堪えるので必死でしたよ(笑)」
機転を利かせたスタッフがたまごっちを貸してくれて、撮影はことなきをえたそうだが、当時のことを笑って話すリアさんはどこかつらそうだ。
事務所から仕事を依頼されるも、施設側のジャッジがあり、全てのオーディションや仕事に行くことは出来なかった。
「施設の先生たちも前例がないから『この仕事はいい』とか『これはダメ』の判断がつかなかったんだと思います。自分の置かれている状況はもちろん理解していても、“親と暮らしていればな…”という気持ちはなくなりませんでした」