40万人が犠牲になった空襲
第2次世界大戦は、航空機が戦場の主役となった戦争だった。各国が行った空襲は徐々に大規模なものとなり、軍事目標を狙った攻撃ではなく、市民を無差別に巻き込むものになっていく。
アジア・太平洋戦争の末期、日本では東京をはじめ全国の都市が米軍による空襲を受け、40万人とも言われる犠牲者を出した。爆撃の恐怖は、被害を受けた多くの民間人の心に深い傷を残した。
しかし、国の存亡を懸けた非常事態である戦争で受けた被害は国民が等しく受け入れなければならないとする「戦争被害受忍論」の考え方を国がとってきたこともあり、空襲の被害、特に「空襲のトラウマ」についてはほとんど顧みられてこなかったと言える。しかし、いまも苦しむ人たちがいる。
東京都に住む西尾静子(86)は2022年2月末、自宅の居間でつけっぱなしになっていたテレビの映像が目に入り、凍りついた。画面に映っていたのは暗い地下室だった。そこで、幼い女の子が泣いていた。
「これは……私?どうして?」。そう思って、思考が混乱した。
次の瞬間に全身が震えだした。ひざから崩れ落ち、床にへたり込んだ。動悸が止まらなかった。
西尾が見たのは、ロシアが突如ウクライナに侵攻し、地下シェルターに避難したウクライナ人の女の子を撮影したニュース映像だった。
なぜ西尾は、遠い異国の少女の姿にこれほどまでに動揺したのか。それは、70年以上前の自分の姿と、その少女の姿が重なったからだった。「もう克服したと思っていたけど、とんでもなかった。私の心は、壊れたままだった」。西尾はそう語る。