酒乱の父の暴力…病床の姿に「ざまあみろ」

戦後の父は、東京・五反田の町工場で働く貧しい旋盤工だった。そして酒乱だった。

母は給料日に、子どもを連れて父の職場まで出かけて行き、給料を受け取った。そうしないと、父が給料袋を持ったまま飲みに行ってしまうからだ。母は父がツケで飲んだ店に頭を下げ、支払いをして回った。

それでも、父はどこかで酒をあおり酔って帰ってくる。家に着くなり、寝ている母を布団から引きずり出して殴った。市原の3歳上の兄は庭の木に縛り付けられたし、市原は何度か、井戸端で冷水をかけられ放置された。

写真はイメージです(PhotoAC)
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暴力に耐えかね、母が「出て行く」と家を飛び出そうとしたこともある。兄が羽交い締めにして止め、市原は布団の中で凍りついていた。父が激高するきっかけが分からず、家族は常にピリピリしていた。

この家から逃げ出さないと─。物心つくと、市原はそればかりを思うようになった。高校を卒業すると、親元を離れて働き始めた。しかし、造船所やガラス工場など、どこで働いても長続きしなかった。「人間不信の塊で、人と一緒にいると圧迫感を感じていた」と市原は述懐する。

家族とほとんど絶縁状態のまま数年たち、兄から連絡があった。父が膵臓がんで入院したとの知らせだった。病室を訪ね、やせ衰えた父を見た。何の感慨も湧かず、涙も出なかった。むしろ、「ざまあみろ」とさえ思った。

写真はイメージです(PhotoAC)
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「白々しい気持ちでした。話した内容も覚えていない。病床の父を前にしても、ただ早く帰りたかった」。3カ月ほどの闘病の末、父は59歳であっけなく死んだ。

母は精神のバランスを崩し、父が死亡した翌年から精神科病院を転々とした。母に会うとどうしても父の記憶と結びついてしまうため、市原は入院する母のもとに、足を運ぶ気にはなかなかなれなかった。

ようやく見舞えるようになったのは、母の入院から15年近く経ってからだった。30年間を精神科病院で過ごした母は、2006年に亡くなった。

母を見舞う中で、市原は同じ病院に入院していた5歳下の女性と知り合った。訪ねてくる肉親もほとんどおらず孤独な女性の話し相手をするうちに愛情が芽生え、結婚。家庭をもった。

しかし、統合失調症を患っていた妻とは、たびたび衝突した。気づくと、市原は妻に暴力を振るっていた。台所から包丁を持ちだし、「ぶっ殺すぞ」と突きつけたこともある。暴れた後、憎くて仕方なかった父と同じことをしている自分に気づき、落ち込んだ。「他人とどう接していいのか、分からなかった」。少しずつ、父がなぜ家族に暴力を振るうようになったのかを考えるようになっていった。