学芸大の地下伝説

東京学芸大学の例も紹介しておこう。

同校は1964年に世田谷から現在の小金井市へと移転。敷地は戦前、「陸軍技術研究所」が設置されていた関係から、いまだ秘密の施設が残されているとの憶測が飛んでいる。

いや、ただの憶測と片付けてよいのかどうか。実際に私の元に、卒業生からの情報が投稿されてきたこともある。学芸大学出身の男性A氏が、先輩から聞いた話だという。
 
——90年代半ば、その先輩たちはとある噂を耳にした。サークル棟近くのマンホールが陸軍研究所時代の地下施設への入り口になっている、というものだ。

東京学芸大学 サークル棟脇のマンホール(写真『よみがえる「学校の怪談」』より)
東京学芸大学 サークル棟脇のマンホール(写真『よみがえる「学校の怪談」』より)

そこである夜、先輩たちはライトを持ち寄って潜入作戦を実行してみた。サークル棟入り口脇にある、少し不自然なマンホール。その蓋を開け、地下へと下りていく。

内部は下水道ではなく、建物の通路のようになっていた。古い鉄扉を開くと、その先には埃まみれの廊下が続いている。廊下は入り組んでおり、机や椅子の残骸だらけの小部屋がちらほらあったという。

地上の建物各棟の地下階へと入る扉もあったようだ。しかし地上と地下施設との構造は微妙に異なっていた。地上では接続していない各棟の地下部分が、通路で繋がっていたりもしたらしい。そんな探検を続けるうち、先輩たちは明らかにどの棟にも繋がらない方向、サークル棟の北側へ延びる通路を進んでいった。

それは学芸大学敷地から北大通りを越えた先、サレジオ学園および小中学校の敷地手前で行き止まりとなった。コンクリート壁の様子を見るに、おそらく戦後になって塗り固められたのだろう。

壁には「1988マイルスデイヴィス来日記念」など、過去に訪れたらしき学生たちの落書きが残されていた。

その通路はまだ先へと延びているはずだ。行き着く先は小金井公園ではないか……。というのが、先輩の推察である。平成当時の明仁天皇(現上皇)が戦後に数年滞在された「御仮寓所」が設置されていたのが、まさに小金井公園だったからだ。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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……というのが、A氏から聞いた先輩のエピソードである。ディテールが細かく、なかなか信憑性のある体験談に聞こえる。

私も2019年6月にこの投稿者A氏とともに、学芸大学構内を取材してみた。確かにキャンパス内のあちこちから、地下と繋がっている通風孔が出ているのが印象的だ。

また学生たちに聞き取り調査したところ、この噂がいまだ現役で囁かれていることも確認できた。「講義中の世間話として、色々な先生からよく聞いている」。古株の教授からは「都市伝説でもなんでもなく、陸軍の研究施設だったのだから地下通路があって当然だろう」とも言われているのだとか。

そんな地下通路への入り口とされる、サークル棟脇のマンホールを確認してみた。言われてみれば、確かに不自然な形状をしている。昔はもっと大きな穴だったがコンクリートを流しこみ、新たにマンホール孔を設置したような具合だ。これが本当に地下施設への入り口なのかはともかく、噂の元となっているのは確かだ。

いくつもの状況証拠がそろった「学芸大の地下伝説」は、なかなか信憑性の高い大学怪談ではないだろうか。

文/吉田悠軌

よみがえる「学校の怪談」
吉田 悠軌
よみがえる「学校の怪談」
2025年7月4日発売
1,540円(税込)
新書判/256ページ
ISBN: 978-4-08-788121-9

恐怖が生まれ増殖する場所は、いつも「学校」だった――。
繰り返しながら進化する「学校の怪談」をめぐる論考集。

90年代にシリーズの刊行が始まり、一躍ベストセラーとなった『学校の怪談』。
コミカライズやアニメ化、映画化を経て、無数の学校の怪談が社会へと広がっていった。
ブームから30年、その血脈は日本のホラーシーンにどのように受け継がれているのか。
学校は、子どもたちは、今どのように語りの場を形成しているのか。
教育学、民俗学、漫画、文芸……あらゆる視点から「学校の怪談」を再照射する一冊。 

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