戦争時の記憶は「海で魚雷をくらったこと」
近衛兵として従事したあとは、太平洋戦争で中国に出征した清隆さん。今年は戦後80年の節目だが、そのことについて尋ねてみると、
「もうそんなになるのか…、別に何も思うことはないな。今じゃ記憶も薄れてきてな。そんないつまでも記憶しとくもんじゃないで」
といいつつ、戦時中の記憶を聞いてみると、「海で魚雷をくらって泳いだことぐらいは憶えてるな」という。一体どのような状況だったのか。
「中国・満州で編成後、博多に帰ってきたんだ。そこから今度は船で南方に向かっている途中、フィリピン沖で敵の魚雷をくらってな。船が沈むもんだで、海に飛び込んだんだ。俺は竹の棒に掴まることができたが、海で死んだ衆もたくさんおったな」
魚雷の攻撃を受けてから4時間後、海軍の舟艇が助けにきたことで、一命を取り留めた清隆さん。その後、セレベス島(インドネシア)に上陸したが、
「船の都合がつかんで、そこにずーっと居座ることになってな。鉄砲も拳銃も海に落ちちゃったもんで、しばらく丸裸でいたでな。昼間は敵の空襲を受け、防空壕を掘っては逃げて、夜は攻撃に向かって、そんな日々を送る中で終戦を迎えたんだ」
終戦直後はアメリカ軍の船舶を借りて帰国した。清隆さんが31歳のときのことだった。