向かいのデスクに座る暢さんに一目惚れ
やなせさんは受験生70人の中から合格者の5人に選ばれた。試験では「自由市場を取材、記事にする」という課題が与えられ、やなせさんはあえて取材している受験生を記事にするという逆転の発想を展開し、評価された。
作中でものぶが入社試験で同様に現場取材をおこなっていたが、実際に今も高知新聞社では脈々と受け継がれている採用試験だという。高知新聞社の浜田成和・メディア事業局長によると、
「現在も高知新聞社の採用試験では、受験生を繁華街に行かせて『面白いと思ったものを取材して記事にしてくる』という課題をだし、そこでの姿勢や適性を判断しています。だから作中の入社試験で、のぶが現場取材に行かされているシーンが、社内でも大盛り上がりでした。
ただ我が社は、作中のように個人の信条に踏み込むような圧迫面接はありませんので、そこはご安心いただければ(笑)」
と笑顔で語った。
やなせさんは入社後、社会部に配属されたというが、1カ月も経たないうちに高知新聞社が創刊する『月刊高知』の編集部に配置換えとなった。そこでやなせさんの向かいのデスクに座っていたのが、暢さんだった。
月刊高知編集部の創刊時のメンバーはやなせさんと暢さんを含めてたったの4人。ベニヤ板で仕切った小さな職場で、やなせさんは色白のはっきりした顔立ちで、一見か弱そうだが、芯の強い暢さんに一目惚れしたのだった…。
暢さんは得意の速記を生かして対談をまとめたり、特集を担当。亡き夫が遺したカメラを使って写真撮影でも活躍したという。一方のやなせさんは取材執筆だけではなく、小説の挿絵や取材相手の似顔絵を手掛けた。
また月刊高知では、記者も広告取りや集金を担当。暢さんは、女性だと甘く見てお金を払おうとしない店主に「ちゃんと払いなさいよ」とハンドバッグを投げつけるなど、変わらぬ“ハチキン”ぶりを披露。その姿に惚れて求婚してきた男性もいたといい、やなせさんは気が気ではなかったという。