仏教的には、人間は生まれたくて生まれてくる
── 「網ダナの上に」を寄せた時の「すばる」のお題はなんだったんですか。
「幸福論」。どこが「幸福論」やねんって(笑)。でも、幸福は人によって解釈が違いますから。ここに出てくる死生観は一応仏教的なんです。人は死んだ瞬間に霊魂的存在になって、次の父母を探し求め、じーっと見計らって男女の交合の際にぱっと入り込んで受胎されて生まれ変わるという。仏教的には、人間は、生まれたくて生まれてくるんですよ。生まれることを、必ず自分で選んでいるんです。この話で霊魂となった娘も、自分が生まれ変わるために車内販売の女を母親と見定めて利用し、男あさりさせていますよね。娘の生前、幼馴染みが死んでしまいますが、仏教的な死生観で考えれば、その子も必ずまた生まれたいと思ってなんらかの形で生まれ変わっているって信じられますよね。
世の中には「なぜ私は生まれてしまったんだろう」と苦しんでいる方もいらっしゃると思います。でも、すべての生き物は生まれたくて生まれてきている。これはそういうポジティブな人生観があるからこそ書けた作品です。
── この作品では、駅の名前が「猫額駅」だったり、特急列車の名前が「借馬」だったりと、クスリと笑える要素もありました。
私はお笑いが好きなので、どこかにユーモアがないと嫌なんです。なので悲惨な物語を書きながらでもどこかでボケたいんです。「借馬」は明らかにサンスクリット語の「カルマ」なんですが、それを仰々しく、地名の由来は借りてきた名馬がどうのこうのなどと、無駄なディテールを書いたりするのも楽しくて。
── これも他の三篇も、基本的に、物語上の現在がリアルタイムで進行しつつ、過去が回想されていくつくりですよね。
だからちょっとミステリー的な色彩が強くなったなと思いました。はじめに軽く謎をかましておいて、だんだんその謎が解けてくるという。「Delivery on holy night」なんかは、こんなきれいな女の人が自分と付き合ってくれるなんて超ラッキーと主人公は最初思うんだけど、ちょっとずつ怪しくなっていきますよね。
── その「Delivery on holy night」も、悲惨な話なのに大笑いしました。宅配ピザのデリバリー要員の青年・智史が、入れ込んでいるデリヘルの女性からクリスマスデートに誘われるところから始まります。彼が彼女に語る数奇な生い立ちの中に、大迷惑なサンタクロースが登場するんですが、これがおかしくて。
今回の短篇集の中では、「ティータイム」とこれが成長物語ということになるのかな……物語の締めくくり方としては。これは書籍化にあわせて追加で書き下ろしたもので、編集者から「人との出会いがある物語」とだけリクエストされました。
実は、最初河童の話を書いていたんですよね(苦笑)。その時が十二月だったので、河童とクリスマスの取り合わせってヘンでいいなと思って書いているうちに、いつの間にかサンタクロースの話になっていて自分でも驚きました。私も昔はサンタさんを信じていましたけれど、子供の夢を壊さないように親が枕元にこっそりプレゼントを置いていくのって、不思議な風習だなと思っていて、いつか書いてみたかったんです。
── 智史は小学生の時、家族に腹を立てて〈みんな死んじゃえ〉と願ったら、サンタさんがその願いをかなえてしまったんですよね。そのサンタさんが、「ふおっふおっふおっ(Ho Ho Ho)」といういわゆるサンタ笑いが出来ないなど、すごく面白いキャラクターで。
サンタクロースからのプレゼントというと、子供は普通、条件抜きで喜びますが、死ぬほど迷惑な贈り物ってどんなものかと思って。あのサンタさんのキャラクターはすごく好きなんですよね。口達者で、小理屈をこねながらも、ちゃんと大阪風のツッコミもしているという。
私はわりとミステリーも読むんですけれど、よく、ああいう年上の知恵者的なキャラクターが出てくるんですよ。口は悪いけれど根は優しくてユーモラスな人が好きなので、そういう人物は書きたいなと思っていました。
── なぜ意中の女性がデートに誘ってくれたのかという謎と、彼がどういう人生を辿ってきたのかという謎、二重の謎解きがスリリングでもありました。そうしたら、もう、意外な展開が待っていました。人が殺される場面もありますが、途中、ある場面で爆笑しました。
謎を深めていって、そこで何がどうなるかというのは腕の見せ所というか。自分自身も騙しつつ、読者を騙すという感覚は非常に気持ちよかったです。
この小説には結構メッタ刺しの場面もあり、読み返してみて、よくこんなもの平気で書くなと我ながら思いました。
井上ひさしさんと同じく、「辞痴」です
── お題があって、そこから発想を広げる時に、かっちりプロットは作るのですか。
私は、はじめにきちっと目次を作るんですね。全体を一、二、三、四、と分割して、さらに一の中に一、二、三、四、二の中に一、二、三、四と目次を立てて、それをプリントアウトするんですよ。二、三日それを眺めてイメージスケッチをしていき、足りないところや気になったところを整えているうちに、いつの間にか書き始めている感じです。なので、その時点で作品の三分の一から半分くらいは出来上がっていると言っていい。でも、書いているうちにぐちゃぐちゃになる。要するに、まず作ってから壊す、というイメージです。
── 言葉選びや描写でも読ませますよね。以前、石井さんが言葉や文字がすごく好きだとおっしゃっていたことを思い出しました。
井上ひさしさんの造語で、「書痴」をもじった「辞痴」という言葉があります。普通じゃないくらい辞書が好きな人のことで、井上さんもそうだったんですって。私も高校時代、一日中、国語辞典を読んでいるくらい、言葉が好きで好きでたまらなかったんです。語学の才能はまったくないので、日本語だけなんですけれど。
── 文章のリズムや、どこにどういう言葉を置くかは、すごく精緻に考えられているのですか。
そうですね。初校を見直す時も、至るところに朱字を入れてしまいますね。私はリズムしか考えていないので、句読点を音符のように考えて、多少不自然であっても読ませたいリズムで句読点を打っています。我が道を突き進んでいます。
── それが非常に心地よく、楽しかったです。すごく濃密な世界を味わえて、ほれぼれする文章世界でした。
思い出すと、十代の頃に本をたくさん読んだのに、あまりストーリーは憶えていないんですよね。言葉ばっかり追っていました。三島由紀夫が好きで何遍も読み返しているんですけれど、言葉はよく憶えているのに、読み返すたびに「こんなストーリーだったんだ」と思うくらい話の筋は憶えていないんです。
最近はストーリーも楽しめるようになりました。自分が書くものも、昔は言葉に凝る方向性だったんですが、最近は文章とストーリー、ともにドはまりしてもらえる小説を書きたいなと思っています。純文学とエンタメ系、どちらの長所も兼ね備えたいい作品をこれからも書いていきたいですね。