「単身赴任」は信長が作った⁉︎

ところがあるとき、信長が支配していた安土城下で火災が起こりました。本来なら城を守るべき弓衆の家から火が出て、あやうく大火事になるところでしたが、幸いにして消し止められました。

信長がその失火の原因を調べてみたところ、その家来が安土に単身赴任していたということがわかりました。

安土城跡(Photo ACより)
安土城跡(Photo ACより)

これも織田家以外ではあり得ない話です。

織田信長の軍団の兵士は全部が専門兵士です。したがって、武田信玄などそれ以前の大名の軍隊と違って、いつでも本拠地が移転できます。武田信玄にせよ、上杉謙信にせよ、9割が地元から徴兵した百姓兵ですから、農業が忙しいときは地元に戻さなければいけません。

一人信長だけが長期間京都に軍隊を駐屯させることができるし、本拠地を移転することもできたわけです。

したがって、単身赴任という言葉も、信長軍団、あるいは信長以降でしかあり得ない言葉なのです。

やはり昔も今も同じで、信長以降は親族とのしがらみや、息子の教育のことなどもあり、夫が単身赴任するというようなこともあったようなのです。

そうした事情はともかく、失火が起こったのは、単身赴任ではなかなか整わない家の中の取締が原因だったことがわかったのです。

前にも述べた通り、火災というのは戦わずして都市が全滅してしまうこともあるのですから、厳罰に処するところです。しかし、信長がまず言ったことは、「一刻も早く妻子を呼べ」ということでした。

そして、他にも単身赴任している家臣がいないかどうか調べ上げ、ここからがなんとも信長流なのですが、単身赴任していた家来の家族が住んでいた家を焼き払わせたのです。

写真はイメージです(PhotoACより)
写真はイメージです(PhotoACより)

もちろん家族を殺したわけではありません。一刻も早く家族が移転してくるようにそうしたのです。

このことからわかるのは、信長は、北条早雲のような旧大名と違って、家臣の妻の働きを極めて重要視していたということです。ちなみにこの逸話は、信長の信頼できる記録である『信長公記』にちゃんと載せられています。

信長以前の時代は、女性の名前はほとんど記録に残っていない

戦前の道徳の教科書には、「山内一豊の妻」という話が載せられていました。

山内一豊は織田家の侍です。

この話は、安土城下での話と思われますが、東北の馬商人が見事な馬を引いてきたのに、誰も買える者がいない。商人は嘲りの言葉を口にしますが、一豊はどうすることもできず、一人とぼとぼと家に帰りました。

すると、一豊の話を聞いた妻の千代が、金10枚を出してくれて、見事にその馬を買うことができた、というのがこのエピソードです。

しかもその後、織田家で馬揃えがあり、一豊はその見事な馬に乗ってパレードに出ることができました。

馬揃え、つまり軍事パレードの様子を見ていた信長は、貧しい侍なのに見事な馬に乗っている一豊を見て仰天し、家来に事情を尋ね、そして大変喜んだと伝えられています。

山内一豊と妻の像(PhotoAC)
山内一豊と妻の像(PhotoAC)

信長が喜んだのは、第一に、東北の商人を手ぶらで帰さなかったことです。

織田家の侍にそうした馬を買う能力がないということは、天下の嘲りを受けることになります。それだけではありません。武士というものは主君から禄を貰っていますが、その給料は主君に仕えるための費用とすべきだというのが当時の考え方でした。

平たく言えば、給料が安いにもかかわらず見事な馬や槍を持っている家臣は、家臣としての心がけがいい、ということになります。

これで下級武士だった一豊は、信長の注目を受け、それが出世のきっかけになり、最終的には土佐20万石の大名になったと言われています。

つまり、この話が教科書に載っていたのは、妻というのは内助の功で夫に尽くすべきであり、その好例であると考えられていたからなのですが、ここで注目して欲しいのは、妻の名前が「千代」だとわかっていることです。

実は、その理由は、信長以前の時代は、女性の名前はほとんど記録に残っていないのです。

え、そうだっけ?と思われたとしたら、それは大河ドラマなど時代劇の弊害です。

たとえば、武田信玄の正夫人の実名はわかっていません。そのため歴史学者は、京都の三条家からお嫁に来たので「三条夫人」などという言い方をします。信玄の跡を継いだ勝頼の生母も隣国諏訪家の姫だというだけで実名はわかっていません。そのため歴史学者は「諏訪御料人」、つまり諏訪家のお姫様という言い方をします。

武田信玄像(PhotoACより)
武田信玄像(PhotoACより)

ここで、「えっ、それは由布姫と言うんじゃないの?」と、思った方もいるかもしれませんが、それは小説家、井上靖さんがフィクションの中でつけた名前なのです。

ドラマや小説では、主人公がヒロインの女性を実名で呼ぶ必要があります。まさか信玄が自分の妻のことを諏訪御料人などと呼ぶはずがないからです。そのため、便宜上「由布姫」とか「湖衣姫」といった名前がつけられているのです。

これは武田信玄に限った話ではありません。毛利元就であれ、上杉謙信であれ、周辺の女性は、シナリオライターや小説家が名前をつけているのです。そうでなければ、ドラマが成立しないからです。

ところが、信長の周りの女性に限っては、こうした創作は行われていないのです。なぜなら、信長の正夫人は「帰蝶」、信長の一番の家来である豊臣秀吉の妻は「ねね」、前田利家の妻は「まつ」、そして山内一豊の妻は「千代」と全部わかっているからです。これは実は例外中の例外で、それ以前はまったくなかった話なのです。