国民民主へ入党も...幹部の古川元久氏「党のイメージ下がる可能性ある」
前出の立憲民主党関係者が当時を振り返る。
「山尾氏が国民民主党へ移るとなったとき、当時の立憲民主党代表だった枝野(幸男)さんがとにかく大激怒。立憲民主党に入党したときも、山尾氏を見捨てないどころか党を背負っていくキーパーソンとしても期待をしていたと聞く。ここまで面倒を見たのにないがしろにされたため、堪忍袋の緒が切れてしまった」
国民民主党内部も山尾氏に対して歓迎ムードとはいかなかったようだ。玉木雄一郎氏の元秘書が明かす。
「山尾さんが国民に来ることに猛反対していたのは、国民民主党幹部の古川元久衆院議員です。古川さんは山尾さんと同じ愛知県から出ている。山尾さんが来ること自体が党へのイメージダウンにつながると考えていたほか、とにかく愛知県での国民民主党の株が下がるからと玉木さんら上層部に相談をしていたのです。玉木さんはいっぽうで党の大きな力になるからと肯定的でした」
そもそも玉木氏と山尾氏の仲はどこで深まったのだろうか。ある国民民主党の関係者はこう続ける。
「前原さんが民進党の代表だったとき、玉木さんと山尾さんは広報の仕事をともにしていた。そこで仲が深まったのでは。2人で自虐的な内容のポスターを作成していたのが記憶にある。党内で『それは自虐すぎる』と少し批判をもらい、ボツになっていた。また、2人ともお酒が好きでかなり飲むことから、仲がいいペアとして党内で認知されていた」
その縁もあって、山尾氏は国民民主党に20年6月に入党届を出し、7月に承認された。
国民民主党は立憲民主党への合流の有無などでメンバーらが入れ替わり、20年9月に「新・国民民主党」として活動することになる。代表は玉木氏が続投し、山尾氏は玉木氏についていくことを選択した。
国民民主党の関係者が続ける。
「新体制発足から次の大きな選挙である21年10月の衆院選で、山尾氏が東京から出たいと玉木氏に申し出ました。20年9月に、国民民主党は山尾氏を比例代表ブロックで擁立する方針を明らかにしています。当時の名簿順位では単独1位で、当選確実が見込まれていた。ただ、選挙前になり、山尾氏が自身のホームページで立候補しないことを明かしたのです」
いったい、なぜか。それは党内の調整が追いつかなかったからだという。前出の元秘書が語る。
「今もですが、玉木さんは新体制後、とにかく女性候補を立てたがっている。今もです。衆院選の全候補者に占める女性候補の割合は2割前後をここ数年は行き来しており、危機感を覚えていた面もある。
また、女性候補を立てることで、人気の獲得ができるとも考えている様子。周りに『いい女性候補者はいないか』などと漏らしており、山尾氏が国民に加入した理由も肌感でなんとなくわかりました。21年の衆院選にも出てもらいたいと考えていたようですが、反対派も一定数いて党内の調整がつかなかったようです」
そしてようやく調整がある程度ついたとして、今回の参院選の舞台が用意されたという。ただ、玉木氏の予想以上に逆風が強かった。
「玉木さんは山尾さんに期待していますが、世間の目は思った以上に厳しいものでした。交渉力など、山尾さんの能力の高さは一緒に仕事をしていればわかりますが、有権者は知らないし伝わっていない。
今後、山尾さんを候補に立てた理由などの具体的な説明をする必要があるのではないでしょうか。千葉県連のパワハラ含め、今のところ国民民主党ではあらゆる面での説明不足が目立ちます」
玉木代表が語っていたように、“きちんと説明”する日は果たして来るのだろうか。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班