意外に多かった離婚
意外にも戦前は、離婚がけっこう多かった。
明治中ごろまで、日本の離婚率は異常に高いのだ。
明治16(1883)年の離婚率(人口千人あたりの離婚数)は、3・39パーセントなのである。離婚が急増したといわれる平成14(2002)年でも2・30パーセントなので、その数値の高さがわかるだろう。
明治30(1897)年でも離婚率は、2・87パーセントと高い。しかし明治31(1898)年以降は急激に下降を続け、昭和10(1935)年には0・70パーセントとなった。なぜ明治時代前半は、離婚率が高く、その後は急降下したのか?
これには明治31年に施行された民法に要因がある。
明治時代に限らず、江戸時代以前、日本では離婚が多かったとされる。日本では、結婚というのは「男と女が一緒になる」というより、「その家が嫁をもらう(もしくは婿をもらう)」という感覚に近かったからだ。
家に入る嫁や婿というのは、法的に守られることもなく、離婚に関する複雑な手続きも必要なかったことから、嫁や婿が気に入らなかったら簡単に追い出すことができたのだ。
特に姑が嫁を気に入らずに、追い出すというケースは非常に多かった。ひどい姑だと、何度も嫁を取り換えることもあった。この風習が明治になってからも続いたため、明治時代の前半は離婚が非常に多かったといえる。
親の許可ありきの結婚と離婚
しかし、明治31年に施行された民法では、「25歳未満の者が離婚するときは、『結婚を承諾した者』の許可が必要」ということになった。『結婚を承諾した者』というのは、ほとんどの場合、親ということになる。つまり原則として双方の親が同意しなくては離婚できない、ということになったのだ。
ここにきて、「嫁や婿が気に入らないときは追い出す」ということが簡単にはできなくなったのだ。ただこれで「気に入らない嫁や婿を追い出す」ということがなくなったのか、というとそうではない。
離婚をしないで済むように、結婚の届け出をしないようになったのだ。
つまり嫁や婿をもらうときに、一定期間は籍を入れないでおくのだ。そうすれば、複雑な手続きを取らずに、気に入らなければ嫁や婿を追い出すことができる。
これは、「試し婚」や「足入れ婚」と呼ばれ、戦前期を通じて行われていた風習である。大正9(1920)年の調査では、夫婦全体の17パーセントがまだ婚姻届を出していない「足入れ婚」状態だったという。
なので、戦前は実質的な離婚率はかなり高かったと推定される。
戦前から若い女性は結婚相手をえり好みしていたり、姑が気に入らない嫁を追い出していたという。
女性というのは、いつの時代も基本的には変わらないということだろうか。
文/武田知弘 写真/shutterstock