「心配ごとの95パーセントは実際には起こらない」
うちの子は3人とも大学に行ったけれど、それは100パーセント、彼ら自身の選択だった。わたしはトロント大学に在籍していたので、子どもたちが医学か法律を専攻すれば学費が免除された。わたしと暮らせば家賃も食費もかからない。でも、彼らは自力でがんばるほうを選んだ。
イーロンは物理学と経営学、キンバルは経営学、トスカは映画を専攻した。自分で奨学金とローンを申し込み、自分でやりくりしなければならなかったけれど、3人ともちゃんとそれをやってのけた。
子どもたちが独立し、自活の道を選んでくれてうれしかった。きっと、わたしのつくる豆スープにうんざりしていたのだろう。
みんな、わたしが「空の巣症候群」(子どもが独立したときに母親が喪失感を覚えること)に陥るんじゃないかと心配していた。これまでずっと子ども第一で生きてきたのだから。
クライアントにも子どもが家を出てから寂しくてたまらなくなったという人が大勢いた。だから自分もそうなるだろうと思っていた。でも、うれしいことにそうはならなかった! ほかの人の悩みがかならずしも自分の悩みになるとは限らない。前に、90歳の人がこう言っていた。「心配ごとの95パーセントは実際には起こらない」
トスカが出ていったとき、わたしは言った。「こんなに自由だなんて、信じられない」
20年ぶりにひとりきりの生活。いまでは、夜にエクササイズをしてもいいし、家族の食事を心配しなくてもいいし、裸で歩きまわってもいい。もっとも、実際に裸で歩きまわってみたら、Tシャツ姿のほうが過ごしやすいとわかったけれど。
でも、そんな自由を謳歌できたのも本の仕事をもらうまで。依頼を受けたあとは、夜に5時間、週末に12時間ぐらい原稿を書いた。初稿を完成させるのに3カ月かかった。
早く子どもたちに見せたくてしかたがなかった。
月に一度は、子どもたちの誰かに会いに行った。毎月2000ドルを貯め、飛行機代と、子どもたちへのプレゼント代にあてた。節約のためにいちばん安い航空券を買い、シャトルバスではなく市営バスで空港に向かう。航空券を150ドルで買えたこともある。
そうやって浮かせたお金は子どもたちのためのもの。子どもが欲しいと言えば、食べ物でも衣料品でも家具でも、何でも買い与えた。
イーロンに会うときはいつもウォートン(フィラデルフィアにある、ペンシルベニア大学のビジネススクール、ウォートン校)まで行った。「今日は何がしたい?」。あるとき、わたしはきいてみた。
するとイーロンは言った。「ニューヨークに行こう」
わたしたちはニューヨーク行きの電車に乗り、観光客らしくいろいろなところを歩き回った。ロックフェラーセンターで一息ついているとき、わたしはイーロンに書きかけの原稿を渡して読んでもらった。自分では、カロリーや代謝や必須栄養素といった、すばらしい情報を詰めこんだつもりだった。
読みはじめてすぐにイーロンは言った。「これじゃつまらないよ」
「どういうこと?」
「母さんはどうして毎日25人ものクライアントに会ってるの? クライアントはどういうことを知りたがるの?」
「そうね、食生活についてのアドバイスを求めてくる人がほとんどよ」
「じゃあ、それこそ本に書くべきだ」
若いときからイーロンはとても賢かったから、彼の言うとおりにすることにした。そのときから、わたしはクライアントがやって来るたびに本を書いていると伝え、こう尋ねた。「あなたの名前は出さないので、やりとりを書きとめてもいい?」