イーロンとキンバルの事業のために1万ドルを融資

それなりに貯金もしてきた。すると、トロントのわたしの診療所の隣にある2階建ての小さな家がちょうど売りに出されていた。当時、カナダで家を買うときの頭金は総額の5パーセントでよかった。家の価格は20万ドル。わたしの口座には1万ドルあった。人生で初めて貯めたお金だ。

高級ショッピングモールのなかの銀行に行き、ローンを申し込むことにした。支店長は、わたしがそのショッピングモールでモデルをしていたのを知っている。だから、それが役立つだろうと思ったのだ。

いまのわたしにはちゃんと収入があるのだから、当然オーケーが出ると思っていた。でも、2週間過ぎても銀行から連絡がない。しかたなく、銀行にもう一度行ってこう言った。「ローンの件なんですが、1週間前に連絡をくれるはずじゃなかったんですか?」

支店長は気まずそうに言った。「実は……審査に通りませんでした」

わたしの過去5年間の収入が基準に達していなかったというのだ。わたしは会社の単独経営者なので、融資をするにはリスクが高すぎると判断したようだ。

驚いただけじゃなく、打ちのめされた。わたしはずっとこの銀行のよい顧客で、支店長はわたしがここのモデルになっていたことも知っていたはず。それなのに、審査に通らなかったのだ。

とはいえ、栄養士の仕事はこれまでどおり次々と舞い込むので、落ち込んでいる暇なんてなかった。これはたんに計画が少し遅れただけ、と自分に言い聞かせた。自分のことを認めてもらうために、わたしはもっと貯金しなければならなかった。

わたしがあわただしい日々を送っているあいだ、キンバルもトロントで働いていて、わたしのオフィスの電話で毎日のようにイーロンと話していた。気づけば通話料金が800ドル。

わたしはキンバルに、そんなに話すならカリフォルニア州のパロアルトにいるイーロンのところに行ったら、と言った。

キンバル(左)、メイ(中)、イーロン(右)
キンバル(左)、メイ(中)、イーロン(右)

その後、キンバルはシリコンバレーに引っ越し、テクノロジー企業の立ち上げ準備をする。インターネットブームが始まったころだ。

キンバルとイーロンが初めて立ち上げたその会社は〈Zip2〉と名づけられ、地図や、出発地から目的地までの道案内サービスを提供した。世界的に有名な何社かと連携し、そのサービスは生活をよりよくするすばらしいアイディアだった。

彼らをサポートするためなら何でもしたい。そう思ったわたしは、ふたりのもとを6週間ごとに訪ねた。食事を用意し服や家具を買ってやり、印刷費用もわたしが支払った。彼らはアメリカでクレジットカードをつくれなかったので、わたしがカナダでつくったクレジットカードを使って。

資金はほとんど底をついていたが、事業を続けるためには現金が必要だった。幸運なことに、わたしの口座には例の1万ドルが残っていたので、ふたりにそれを渡した。わたしは息子たちを信じていた。

ベンチャー投資家と会う前の晩、キンバルとわたしは〈キンコーズ〉に行き、プレゼンテーション資料をカラー印刷した。料金は1ページ1ドルもしたので、わたしが支払った。かなりの出費だ。

結局、その晩は徹夜。翌朝、わたしたちは疲れ切っていたけれど、もちろんイーロンだけは元気だった。彼は寝なくても大丈夫なのだ。イーロンはいつだって遅くまで起きて、プログラムのためのコードを書いていた。

イーロンとキンバルは、それまでたくさんのベンチャー投資家に会い、何カ月もかけてアイディアを売り込んできた。ついに、その朝会ったふたりの人物が初めて投資を申し出てくれた。わたしたちはすっかり有頂天になった。

その晩、わたしは言った。「街でいちばんのレストランに行きましょう」