ルビコン川を渡れ

ラテン語 続いては、iacta alea est「賽は投げられた」です。「賽は投げられよ」という命令形のギリシャ語のことわざがもとだと考えられていて、それをカエサルが使った。ルビコン川※3を渡ってイタリアに侵攻する。つまり元老院に盾突く。その決断の際の言葉です。

ヤマザキ 古代ローマという歴史を語る上ではあまりにも有名な言葉、有名な場面です。「賽は投げられた」という言葉そのものの含意よりも、カエサルの踏み切った行動が重要と言えるでしょう。

ラテン語 引き返さない決断。

ヤマザキ 一線を越えた、ということですよね。

ラテン語 英語でもcross the Rubiconという表現は「後戻りができない決断をする」という意味になります。ヤマザキさんのイタリア行きはまさにこれだと思うのですが、いかがでしょう?

ヤマザキ 確かに賽が投げられた感、ありましたねえ。片道航空券でしたから、飛行機に乗った瞬間に「もう簡単に日本には戻れないのだなあ」という感慨を抱きました。

行ったら行ったで最初の頃はカルチャーギャップに本当に苦しめられましたけれど、辛さに耐えかねて「やっぱりダメでした」と、さっさと帰ってしまっても、残る後悔に苦しめられそうだなという思いもありました。だから後戻りはできなかったですよ。

でも人生においては、そういう一線を越える瞬間が必要なんじゃないかと思いますよ。そういう思い切りを持たないと開いていかない人生もありますから。ラテン語さんもないですか? 絶対にありますよ。

片道航空券でイタリアへ…漫画家ヤマザキマリにとって「賽が投げられた」瞬間とは? 自らの成長のために必要な“一線”を越える経験_2

ラテン語 私にとっては最近のことかなと思います。今は会社に勤めていますが、そろそろ辞めて、ラテン語さん一本でやっていく。会社員の安定を手放す。ルビコン川が近づいてきました。

ヤマザキ すごい、ラテン語さんの緊迫感が伝わってきました(笑)。ルビコン川を渡ることで、人はそれまでの馴れ合いの環境に甘え続けていられないという責任感を抱くことになる。人が成熟する上で欠かせない感覚でしょう。カエサルのこの言葉が歴史に残ってきたのは、やはりどの時代の人も一線を越える勇気と必然性というのを感じてきたからなのではないでしょうか。