人は信じたいものを信じる

ラテン語 カエサルのlibenter homines id quod volunt credunt「人は自分の信じたいものを喜んで信じる」は、よく知られた言葉です。古代ギリシャの弁論家デモステネス※1も、同様の言葉を残しています。

ヤマザキ 20世紀経っても未だに通用する言葉が出てきました。聞きたい言葉しか聞きたくない。自分に都合が悪いことは聞きたくない。現代の人間社会の実態を生々しく浮き彫りにした言葉です。

ラテン語 現代はそれに輪をかけて、例えばSNSだとアルゴリズムによって各々のユーザーの関心のあることしか表示されないようになっています。

「人は自分の信じたいものを喜んで信じる」古代ローマ帝国時代から問題視されていた、他人の異論を拒む感情が社会に与える影響_1
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ヤマザキ 見たいもの、見たくないものを、自分じゃないものが決めてるってことですよね。このままでいくといずれ人間は耐久力も持久力もない、脆弱を極めた最悪な生物になってしまいそうで怖いです。知恵や想像力は使い方を間違えただけで、自滅装置みたいなものになってしまいますから。

好きだろうと嫌いだろうと何だろうと、そういうものが渾然一体となった社会で生きていかなければならないという認識能力や、自力で物事を判断したり考えたりする力を、お願いだから奪わないでもらいたい。

第二次世界大戦中も、人々は日本の勝利を仄めかすように仕込まれた情報だけを信じていたわけですけど、敗戦を機に、信じたいものだけを信じるのではダメだと学習したはずなんです。だけど相変わらず情報の腹黒さと、それに乗っかってしまう人々のメンタリティは未だに変わっていません。

ラテン語 現代においては、自分の意見を発信するにしても、賛成するだろう人だけに対して発信して、期待通り賛成をもらって満足する。あまり他の立場の人の意見を聞きたがらないという問題がありますよね。