人はどうして噂を信じてしまうのか

ラテン語 本記事では、fama, malum qua non aliud velocius ullum「噂、これ以上速く進む悪は存在しない」です。ちなみにvelociusはvelox「速い」の比較級です。

ヤマザキ カフェ・ベローチェのveloce「速い」ですね。イタリア人の夫がこのカフェのネーミングを見て「カフェなのに寛げなさそうで、なんだか入れない」と一言漏らしたことがありました。

ラテン語 そうです。あれはスピーディーにコーヒーが出てくることを表した名前です。紹介した格言は、本書でも何度も出てきた『アエネーイス』で、女王ディードーがアエネーイスに熱を上げて、治政がおろそかになっているのではとカルタゴ人から噂されたことについて、ウェルギリウスが書いたものです。

ヤマザキ 信憑性の有無にかかわらず、噂というものは人の意識を巻き込む大きなエネルギーを持っていると言いますから。

あおり記事や根拠のないデマがはびこるSNSから週刊誌のゴシップまで…人はなぜ“ウワサ”を信じてしまうのか? 情報はもはやエンタメという凋落_1
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ラテン語 そうなんです。火のないところに煙は立たぬとはよく言われますが、実際は火のないところに煙を立たせる人もいます。噂とはそういったものだと思います。

私も中学校時代、「あいつはテストでいい点を取ったから、誰々を見下している」という噂を流されて、すぐ後になって「調子に乗らないように」と別の人からたしなめられて、広まった噂に気づくということがありました。どうやら、私より少し下の点数の人が噂を広めていたようです。

ヤマザキ 噂を広げて可視化できない攻撃を仕掛けるのって、本当に非人道的で狡いなあ、と思います。噂という攻撃を受けた人は場合によっては疲弊し、ボロボロになって、生きる力を奪われたりもしますからね。週刊誌のゴシップもまた真実や真意が曖昧なのに、人の好奇心を煽ってその後の保証はしない。

まさにそれですよ。今は新聞やテレビの報道ですら信じられないという人たちも大勢います。とにかく、そういった媒体を含め、人が言ってることについては、面倒でも一旦は「それって本当なんだろうか」という疑念を持たないといけないと思います。

ラテン語 一時は信じるほうがコスパがいいんでしょうけど、後々になって噂に苦しめられるのは自分たちでしょう。例えば、オイルショックの時のトイレットペーパーの買い占めとか。

ヤマザキ コロナ禍でもいろいろありましたね。噂であろうと何であろうと、信じるっていうのは人のせいにできるから楽なんですよ。信じた人に裏切られれば裏切った人が悪いとなるし、噂に踊らされても、噂が悪いとなる。

イタリアみたいな国では「裏切られた」というと「信じたお前が悪い」と返されます。信じる前に吟味しろ、裏切られたり、失敗したりする責任は自分で持て。これはイタリア人のみならず、東欧や中東などでもよく耳にする言葉です。そこには地中海文明で培われた精神性が継承されているように思います。

ラテン語 「信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つくほうがいい」と歌う「贈る言葉」の反対ですね。

ヤマザキ 裏切られるという経験があまりなかった人の歌ですかね(笑)。