「辞めるなら今なのかもしれない」

人気ドラマに出演するも、物足りなさを感じていた川村。その後もオーディションを受ける日々は続いたが、ことごとく落選したと話す。

「何本かドラマに出演してもあと1歩足りない。点が線にならず、全て点のままだと感じてました」

そんなもどかしい気持ちを抱えながらいた川村に再び転機が訪れる。それは、ドラマ『タイヨウのうた』(’06年)のオーディション時のことだ。

「『これが受からなかったら俳優辞めようか』って当時のマネージャーに言われたんですよ。

『人生を考えるターニングポイントはここだ。俳優人生このまま鳴かず飛ばずで、ずるずるいくと、お前の人生によくない』って」

当時22歳の川村は17歳でデビューして5年が経過したころ。俳優活動ではなかなかブレイクできず、一般人に戻るかどうかも含め、将来を考える分岐点だった。

「同世代は大学を卒業して社会人になる年齢だったんで、辞めるなら今かもしれない…との思いが頭をよぎりました。

その時、『ここで死ぬ気でオーディションに臨んだ方が将来のためじゃないか?』ってマネージャーが言ってくれたんです。

当時は漠然とオーディションを受け続けていたから、ハッとしたんですよね。

僕のことを人として、本気で考えてくれた言葉だと感じました。そのおかげでケツに火がついて、絶対に受かってやるっていう気持ちが生まれたんです」

マネージャーに発破をかけられたおかげもあってか、合格を掴み取った川村。そして、このオーディションは、俳優人生を大きく変えるきっかけでもあった。

「オーディションを受けてる時に、突然会場に入ってきた人がいたんですよ。

終わってからマネージャーに聞いたら、『(川村の)名前に丸をつけたよ』って」

プロフィールに丸をつけた人物。それこそが津留正明氏。彼が一躍、全国的知名度を誇るきっかけとなったドラマ『ROOKIES』のプロデューサーだ。

「オーディション審査員に『あの子、最後まで残しておいてね』って言ってくれたそうです。

『ROOKIES』の後も、津留さんとお仕事でご一緒することがあったんですけど、『あの時のお前は良かった。1人だけやる気が違ったんだよ』って話してくれました。

そう考えると『タイヨウのうた』は大きな転機でした。俳優を辞めるかどうかの時に掴んだ未来への切符だったと思います」

後編では、『ROOKIES』での撮影裏話や川村の現在値について話を聞く。

川村陽介(撮影/矢島泰輔)
川村陽介(撮影/矢島泰輔)
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取材・文/桃沢もちこ