巨乳ブームが到来 

時は経ち、フリーライターとしての仕事も増え始めた本橋さん。その間も、村西監督につかず離れず、併走していた。

「村西さんが1984年にAVメーカー『クリスタル映像』の監督になると、黎明期のAVを取材すべく、現場に潜入したり、同時期にデビューしたAV女優たちのインタビューをおこないました。

AV専門誌『ビデオ・ザ・ワールド』(コアマガジン)の巻頭インタビュー(1987年〜2008年)、22年間続きました。20代だった彼女たちも還暦越えです。いま、どうしてるんでしょう。

1988年、村西監督がクリスタル映像から独立してダイヤモンド映像を設立すると、AV制作だけでなく、スポーツや芸能人のイメージビデオを作る部署『パワースポーツ』というレーベルもできたんですね。

そこの制作部門でキャスティングプロデューサーを任されていたのが、イエローキャブを設立して間もない野田義治さんでした。

イエローキャブは堀江しのぶというタレントがいたのですが、彼女にスキルス性の胃がんが発覚して、高額な医療費がかかるため、野田さんはその補填のために村西さんを手伝うことになったんです」

作家・本橋信宏さん(撮影/佐藤靖彦)
作家・本橋信宏さん(撮影/佐藤靖彦)

村西監督は理由も聞かず、プロデュース料として毎回コンビニ袋に数百万円を無造作に放り込み、野田さんに手渡していたという。

「ダイヤモンド映像は1989年に、松坂季実子という胸の大きな女性を専属女優としてデビューさせました。作品発売日を大々的に宣伝したり、松坂を積極的にメディアに登場させたことにより、巨乳ブームが到来した。

巨乳マイスター野田義治氏は、他所のプロダクションの新人でも、胸の形が整っていないと、見ていられなくなるのか、勝手にブラをいじり、たちまち巨乳・美乳に変えてしまう。熱い人です。さすがに今はできないでしょうけど。

堀江しのぶさんは結局亡くなってしまったのですが、野田さんは、村西監督への恩義を忘れず、村西監督がダイヤモンド映像を倒産させ借金を背負ったときでも、メディアで『自分がいまあるのは村西監督のおかげ』と公言していました」