「被告人は裁判で泣いていました。なんの涙ですか」
初公判前日の2月26日。筆者は、事件の現場となった神居古潭を訪れた。
この日の気温は0度で、凍てつくような寒さ。この季節、神居古潭は来る者を拒むかのように周辺の道路も厚い雪でおおわれ、神居大橋に降りることすらできなかった。
検察側の証拠によると、事件当時の気温は4度。この日の気温よりかは高いが、身を刺すような寒さは変わらない。現地の4月は山からの雪解け水で川の水温は低く、水量も増す。そんな状況下で、Aさんは転落したのだ。
神居古潭の脇にある東屋のテーブルは事件後、献花台となり、たくさんの花束や飲み物が供えられていた。テーブルの上には雪が覆い被さった花束があった。美しい銀世界から、現実に引き戻される感覚になった。
こうした供物を届ける人たちに、Aさんの両親は法廷で感謝の気持ちを述べていた。
<神居古潭にお花を供えてくださいました方々、これを管理してくださいました方々、娘に合掌してくださいました方々、すべての優しいお心に親族一同厚く御礼申し上げます>
一方でAさんの母親の意見陳述書には、こんな記述がある。
<被告人は裁判で泣いていました。なんの涙ですか。娘は涙を流しても、誰にも受け入れられず、誰にも届きませんでした>
思えば小西被告は、自身の家族の話をされたときに、毎回必ず涙していた。家族を愛していた被告は、今後の受刑生活で自らが犯した悪の所業にどう向き合っていくのだろうか。
Aさんは殺害された翌日に、札幌市内の保育専門学校のオープンキャンパスに友人と参加する予定だった。
母親の調書によると、Aさんは親戚の子どもと仲よく遊んでいたといい、昔から幼稚園の先生になりたいと話していた。
「17歳というこれからというときに、未来を絶たれたこと。被告人には理解できるでしょうか」(Aさんの母親の意見陳述)
弁護側によると、被告は控訴しないといい、懲役23年の判決が確定するものと思われる。
取材・文/学生傍聴人