「死に方を選べない」という日本社会のバグ
すいません。急に暗い話におつき合いいただきましたが、ここでお伝えしたいのは死に方の話。このじいちゃんは生前は超がつくほど怖くて破天荒で、ザ・漢って感じの人でした。お正月に親戚が集まってお酒を飲んだりしたら刀を振り回すぐらいには破天荒です(絶対にダメです)。
そして口を開けば「たくみぃ、男はつよくなけりゃならん。すぐに泣くなぁ」と言っていた。僕にとっては強いじいちゃんでした。それが、介護疲れで自殺を選ぶ?ありえない。ダサい。ダサすぎる。自分の好きになった女ぐらい痴呆だろうがなんだろうが最期まで看取れよボケ!と叫びたくなるぐらいには悲しかった。
そのとき思ったんです。強いってなんだろう、と。そして自分はどうやって死にたいかを考えた。
これは極めて個人的な意見ですが、現在の日本社会のひとつのバグは、「死に方を選べない」ことだと思います。
人間は、人の役に立つことで喜びを感じる生き物です。かりに自分が病気になって、社会的に役に立てなくなり、一方的に世話をされるだけの状態になった場合、「ここで命を終わらせてしまいたい」と思っても、それ自体はなんらおかしくはありません。
ましてや、自分の老後に対して金銭的な不安があったり、家族との折り合いがよくなかったりしたら、なおのことそう思うことでしょう。
もちろん「病気になって寝たきりになっても、そのまま自分の人生をまっとうしたい」と感じる人もいるでしょうし、そうした価値観を否定する気はまったくありません。ただもしも、人がもっと本人の意思で死のタイミングを選べるようになったとしたらどうでしょうか?
先々の不安がなくなることによって、いまやりたいことにもっとお金や意識、時間、エネルギーをつぎ込むことができます。
自分の体力やお金など、持てるすべてを使い切ったら、死を選ぶ。そんな生き方があってもいいのではないかとも思います。このように書いていて、そんな簡単な話だけじゃないことは理解しているつもりです。でも、それにしても死ねないというのは違和感があるのです。