「病院のベッドで死ぬ老後が理想」という固定観念
僕にとって気になるのは、いまの日本で理想とされる死に方が、病院のベッドで横たわって家族に見守られ、最後に「ありがとう」と言いながら死んでいくというイメージであることです。
この理想の最期のイメージのために、多くの人がきちんと入院できるだけの費用を残しておきたいと考え、「いま」を犠牲にしてお金をため込むのです。
ベッドの上で天井を見ながら過ごす日々のために、貴重な「いま」を犠牲にして本当にいいのでしょうか?僕は死を待つためではありませんでしたが、17歳のときに膵炎を患って3か月以上入院をしていた時期があります。
だからこそ強く実感を持って思うのかもしれません。病院のベッドに寝て、天井をながめながら過ごす時間は、それほどよいものではありません。
また、マクロな話になりますが無理な延命を続けた結果、社会保障費が膨れ上がって、現役世代の生活を圧迫しているのが日本の現状でもあります。
「病院のベッドで死ぬ老後が理想」という固定観念を手放すことができたら、わたしたちの人生はもっと生きやすいし、充実したものになると思います。
理想とする死についても、もっと多様性があっていいと僕は思います。
おいしいものを死ぬほど食べて食い倒れで死にたいという人もいれば、死ぬまで家で好きなゲームをやりながら死にたいという人もいるでしょう。
ちなみに僕の理想の死に方は、爆笑しながら死ぬことです。
ある日、死ぬほど笑っていたら、自分の体が自分の笑いに耐えられなくなって、グキッときて死んでしまった。そんな死に方ができたら、こんなに幸せなことはないと思います。
周囲から「まだまだ若いと思っていたら、あの人は笑いすぎて死んでしまったんだよ」「ありえないわー。でもらしいよね笑」と思い出話をされたらうれしいです。
平穏な死を捨て、いざとなったら病院のベッドで死ねなくてもいいという考えを持つ。それだけで「いま」に投じられる時間やエネルギーは増え、人生の質や楽しさがぐっと上がるはずだと僕は思います。
みなさんには、ぜひ幻想でしかない理想の死のために生きるのではなく、「いま」を犠牲にせず、ありのままの自分を楽しむ人生を歩んでほしいと思います。
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