「婚活」を捨てる
この話は、正直書きたくないと思いました。実際に消すことも編集者に提案しました。でも、人間関係を語るうえで、このテーマを避けて通ると、それは逃げだと思い、覚悟して書くことにしました。それが、婚活の話。
現代におけるひとつのタブーにすらなるアンタッチャブルなテーマだと思います。それも、僕のようなラッキーで妻と出会えているような無責任な幸せ人間が語るべきことでもないと思う。でも、どうしても違和感があるので、それを承知で書かせてもらいます。
婚活を考えるとき、人生の良きパートナーと巡り合いたい、でもなかなかこれという相手が見つからない、そんな悩みを持つ人も少なくないようです。
でもなぜパートナーが欲しいのか。その根源的な部分を聞いていくと、どうしても解せないことも少なくないです。心を通わせられるパートナーが欲しい。温かい家庭をつくりたい。純粋にそう願っているのなら、ぜひご縁に恵まれるまでがんばってほしいと思います。
ただ、なかには、得体の知れない焦りや義務感、世間的な常識にとりこまれ、パートナー探しに躍起になっている人もいるような気がします。
周りの友だちが次々と結婚していく。家庭を持つことで社会的な信頼を得たい。そういう人は「年収」「身長」「年齢」といったステータス(条件)にこだわりがち。そして良いパートナーがいない、見つからないと嘆く。
やはりそれは少し変というか、不純な気がします。結婚の価値が「内」ではなく、「外」に置かれてしまっている。
繰り返しになりますが、人生で大切なことは自分のときめきに従って、自由で幸せに生きられるかどうか。それに尽きます。
パートナーの選択も同様です。自分の「内」に価値を見出せるような相手でないと一緒にいられません。「外の価値」を追いかけたところで永遠にときめきはつかめない。
相手のステータスが高かろうが低かろうが、本来的には気が合えばいいのだと思います。低い部分は「これから高めていくための余白」。それくらいの心持ちでいられれば「良きパートナー」に巡り合う確率はぐんと上がるのではないでしょうか。
それでもやはり相手に一定のステータスが欲しい?そんなに無理をしてまで婚活をする必要があるのでしょうか。