メディアスクラムと”村八分”
この犯人は、2000年に無期懲役の判決が出た際、上告を拒否し、そののちに、収監先の刑務所で自殺をしています。逮捕から約4年後、29歳でした。それを知った私は、テレビカメラに向かって噛みつくように怒りまくっていた男の印象と、自死というイメージがなかなか一致しませんでした。
そこでいろいろと調べてみると、今まで知らなかったことがわかってきました。
当時の奈良県添上郡月ヶ瀬村という所は、前時代的な旧習が残る土地だったようです。村の一員になるためには2人の紹介者が必要で、紹介者が居ない人は村のコミュニティに参加させないという独特のルールがありました。犯人の一家に紹介者はいませんでした。
さらに、犯人の家系には朝鮮人がいるというだけで、村人からかなりひどい差別を受けていました。村に何か事件が起これば犯人でもないのに犯人扱いされるなど、今では放送禁止用語ですが、完全な〝村八分〟だったのです。
事件が起こってすぐに、「犯人はやつに違いない」という声が村人からマスコミに流れたのでしょう。すぐに彼が取材対象になった理由がよくわかりました。
生まれてからずっと受けてきた苛烈な差別への鬱積した怒りが、顔見知りの女子中学生に無視されたことによって爆発したのでしょうか。当時、「その程度のことで殺してしまうなんて…」と犯人の身勝手な犯行に強い嫌悪感を抱きながら編集していた私でしたが、彼にとっては「その程度のこと」ではなかったのかもしれません。
この事件で問題になったのは〝メディア・スクラム〟でした。大勢の記者やカメラマンが押しかけて、当事者や家族、近隣住民や知人などに強引に取材をすることをこう呼びます。
これは取材される側からすると〝リンチ(私刑)〟とも言える行為です。昔から問題視されてきましたが、現在に至るまで決して改善されることはありません。
改善されない理由は、視聴率至上主義や他社が撮影できた画は撮り逃がすわけにはいかないというもの。また「マスコミは社会の代弁者である」という思い上がりなどいろいろあると思いますが、私のような編集者も当然反省しなくてはいけません。
実際に私も警察発表を鵜吞みにして映像を繋ぎ、少々疑問に感じても、時間に追われる中、何も意見することなく放送し続けてきたことも多くありました。「あれは行き過ぎた報道ではなかったか…」と、今でも思うことが少なくありません。
文/宮村浩高