「この世は生きるに値する」
子供自身だけでなく、社会の環境も不確定要素ばかりだ。
戦争に環境問題に自然災害に、私たちすでに生きている人間ですら10年後に無事に生きているのか不安になるような世界である。
生まれてくる子供に保証できるものなんて何もないと感じる。ちょっと深刻に考えすぎ?いやいや、そうとも言えないような出来事ばかり起こっているじゃないか。
こんなに不確定要素だらけなのに子供を産み育てている人を見ると、正直なところ「よくやるな」と思ってしまうのも事実だ。「どうしてそんなに自分も世界も信じられるの?」と。
私と同い年で母親になっている女友達は、学生時代から子供を産むまでのあいだに「子供が欲しい」という感情に迷いが生じたことは一度もなかったという。無事に授かれるかどうかが不安だったことはあるし、親になってからも子育ての方法で悩むことはあるが、そもそも親になるかならないか、で悩んだことはなかったらしい。
いろいろな不安要素を「えいっ」と飛び越えて「きっとなんとかなる」のほうに賭け、「だって欲しいんだもん」とエゴだのなんだのをまっすぐに無視できる姿が、私には素直に輝いて見える。
ラピュタが見たかったから危険を冒して旅立った『天空の城ラピュタ』のパズー、海の見える街で働くことに憧れて、無謀でも実際やってみた『魔女の宅急便』のキキ。宮崎駿作品をビデオテープが擦り切れるまで見て育ったはずなのに、全然そんなふうに生きられない大人になってしまった。そうなれないからこそ何度も見てしまうのかもしれないが。
宮崎駿は2013年の引退(その後、撤回した)会見で「この世は生きるに値する、ということを子供たちに伝えたくて映画を作っている」というふうに言っていた。
この会見のとき私は20歳かそこらで、当時は引退の事実にだけショックを受けていたが、30歳を超えた今となってはあの引退会見のときの言葉がボディブローのように効いてきている。
「この世は生きるに値する」
この言葉は今現在この世を生きている私を勇気づける一方で、同時に後ろめたい気持ちにもさせる。
彼の作品を何度も何度も見て育ってきた私は、「この世は生きるに値する」と心から思えているのだろうか?それを次の世代の子供にも胸を張って言えるのだろうか?