子供が嫌いだから子供を産まないわけじゃない
「子供が好き」という言葉がある。
「子供が好きだから保育士になりたい」とか「あの人は子供が好きだからいい父親になりそう」とか。
「子供が好き」という言葉には、「優しい」「面倒見がいい」といった好意的なイメージがついてくるし、たとえば強面のおじさんが電車内の子供に微笑みかけていたりすると「子供が好きならまあ、悪い人じゃないんだろうな」と他人に思わせる効力がある。
結婚相手を選ぶにあたっても、「子供が好きかどうか」の観点で見ている人は少なからずいる。将来子供を育てたいから、子供好きな人を伴侶に選びたいというやつ。子供が好きな人は、なんとなく大人にも優しいんじゃないか、自分にも優しく接してくれるんじゃないかという期待も本当はあるのだと思う。
しかし、私は最近この「子供が好き」という言葉をちょっと疑っている。学生時代、異性にモテたくてしきりに子供好きアピールする女子を見ていて「けっ。言ってらあ」と思ったりしたこともあったが、そういう種類の疑いではない。
「大人が好き」とは言わないのに、なぜ「子供が好き」とは言うのか?という点に違和感を持っているのだ。
私にはまだ幼い甥と姪が四人いて、彼らとしばしば遊んでいる。子供たちを見ていて思うのが、「血縁がある子供同士であっても、驚くほど一人ひとりの個性が異なる」ということだ。
おもちゃを他の子に譲る者、絶対に譲らない者、そもそもあまり輪に交わらずに一人で遊ぶのが好きな者、大人と遊ぶのが好きな者、大人の前ではめっきり話さなくなる者──。
まだ保育園や幼稚園に入る前の年齢であっても、はっきりとその子の「個性」のようなものが現れているのを見て、「子供と一口に言っても、本当にいろんなタイプがいるのだなあ」と気づかされた。
そして「こんなにいろんなタイプがいるなら、一概に『子供が好き』って言うのってなんか変だよな」とも。